飛脚は、どのように走ったのか
―「ナンバ走り」論を超えて、近世日本の「移動身体」を再考する

要旨

 近世日本の飛脚は、しばしば驚異的な速度で長距離を移動した存在として語られる。また近年では、その走法を「ナンバ走り」などの名称によって説明する言説も見られる。
 しかし、飛脚の身体運動を歴史的に検討するためには、まず「飛脚」という語が何を指しているのかを明確にしなければならない。
 近世の飛脚には、幕府の公用通信を担った継飛脚、民間の通信を担った町飛脚など複数の制度・形態が存在した。宿駅において人馬を継ぎ立てる通信制度全体の速度と、一人の飛脚が実際に走行した距離・速度とを同一視することはできない。
 本稿では、飛脚を単なる「速く走る人」としてではなく、街道、宿駅、人馬、荷物、履物、衣服、地形、時間、職能等との関係の中で成立した「移動身体」として捉え直す。
 その上で、史料によって確認できる飛脚制度と実際の移動条件を整理し、そこから近世日本に存在した専門的な反復移動身体の特質を考察する。
 尚、本稿は史料に確認できない特定の走法を飛脚に帰属させるものではない。歴史資料から過去の走り方を直接推定するのではなく、まず史料によって「移動の実態」を可能な限り復元し、その実態を成立させ得た身体運動の条件を身躰構造學から問うことを目的とする。


1.「飛脚は一日何km走ったのか」という問いを疑う

 飛脚について語られる際、最も関心を集めやすいのは「どれほど速かったのか」という問題である。江戸から京都まで何日。江戸から大坂まで何日。
 こうした記録を見ると、現代人はその総距離を所要日数で割り、一人の飛脚が一日に移動した距離を推定したくなる。
 しかし、この計算には重大な問題がある。
 飛脚による通信は、必ずしも一人の人間が出発地から目的地まで走り続けることによって成立していたわけではないからである。
 近世には五街道を中心とする宿駅制度が整備され、宿場は人馬や飛脚を次へ継ぐ機能を担った。幕府公用の継飛脚と、私信等を運ぶ民営の町飛脚も制度的に区別される。したがって、長距離区間における速達記録は、まず通信システム全体の速度として理解しなければならない。
 それをそのまま、一人の人間の身体能力へ換算することはできない。
 ここで最初に区別すべきなのは、「飛脚便はどれほど速かったのか」という問いと、「一人の飛脚はどれほど移動したのか」という問いである。
 前者は交通・通信制度の問題であり、後者は身体活動の問題である。
 両者を分けることから、飛脚の身体研究は始まる。


2.そもそも「飛脚」とは一つではない

 「飛脚」という語によって、単一の職業・単一の走者像を想定することにも注意が必要である。
 少なくとも近世には、幕府の公用通信を担う継飛脚と、民間の通信を担う町飛脚という制度上異なる形態が存在した。継飛脚は幕府の城代・遠国奉行等との連絡にも用いられ、町飛脚は民営の通信手段として発達した。
 また飛脚問屋の営業・組合・運用についても豊富な史料が残る。
 例えば東京都公文書館『東京市史稿』には、天明2(1782)年の「京大坂定飛脚問屋名目許可」、寛政3(1791)年の「定飛脚問屋早会所組合規定」や「大坂下リ飛脚遅延詫状」などが収録・掲出されている。
 したがって、「飛脚はこう走った」と論じる以前に、
 どの飛脚なのかを問わなければならない。制度が違えば、移動目的も異なる。輸送物も異なる。要求される速度も異なる。人馬の利用条件も異なり得る。
 当然、そこで要求される身体活動も同一であったとは限らない。


3.飛脚の速さは「身体だけ」が生んだものではない

 飛脚の高速性を考える上で、もう一つ重要なのは、その速さを個人の身体能力だけへ還元しないことである。
 飛脚便を成立させていたのは、走者だけではない。街道がある。宿場がある。人足がいる。馬がいる。飛脚問屋がある。荷物を受け渡す仕組みがある。
 それらが連結されることによって、長距離通信が成立する。
 つまり飛脚の「速さ」とは、身体 × 街道 × 宿駅 × 人馬 × 組織によって成立する複合的な現象である。
 実際、飛脚問屋の運営をめぐっては、遅延そのものが史料に残されている。寛政3年の『東京市史稿』には「大坂下リ飛脚遅延詫状」が掲げられており、飛脚輸送が常に一定速度で機械的に成立したわけではなかったことが分かる。
 ここからも、「飛脚の速さ」を身体能力だけの指標として扱うことの危険性が見えてくる。


4.制度の速度から「一人の身体」を取り出す

 しかし、本稿の関心は飛脚制度そのものだけにあるのではない。
 どれほど高度な継走制度であっても、その各区間を実際に移動した身体が存在したことに変わりはない。
 そこで身体研究として必要になるのが、通信制度全体から一人の移動者の活動を取り出す作業である。
 具体的には、一人が担当した区間。担当距離。交替地点。移動時間。休息。徒歩と走行の比率。馬の利用。携行物。荷重。衣服。履物。路面。坂道。季節。天候。
 これらを可能な限り史料から復元する必要がある。
 ここまで明らかになって初めて、「飛脚の身体」について具体的に論じるための基礎条件が整う。


5.史料はどこまで残っているのか

 幸い、飛脚研究には豊富な基礎史料が存在する。
 児玉幸多校訂『近世交通史料集7 飛脚関係史料』は617頁に及び、町飛脚に関する多数の史料を収録する。「嶋屋佐右衛門家声録」や「定飛脚発端旧記」など、近世交通史研究上の基本史料が含まれている。
 更に、「定飛脚日記」と呼ばれる史料群も研究対象となっている。郵政博物館の研究によれば、「嶋屋佐右衛門家声録」の編纂には日記類が参照されており、「駅逓志稿」編纂時にも日記を写す作業が行われた。また「定飛脚文政日記」など、別時期の日記史料が存在した可能性も指摘されている。
 国立歴史民俗博物館には、江戸時代に実際に飛脚によって運ばれた書簡25通を含む「書状(飛脚便)」も所蔵されている。
 更に飛脚問屋関係では、「六組飛脚屋旧記」「江戸六組飛脚屋仲間」等、多数の史料群が確認されている。
 したがって、飛脚の身体史を構築するための史料的基盤そのものが存在しないわけではない。
 問題は、それらを交通制度史だけでなく、身体活動という問いから読み直すことにある。


6.「何km走ったか」から「どのように移動したか」へ

 身体研究において最も重要なのは、距離だけではない。
 仮に一人の担当距離が判明したとしても、「一日○km」という数字だけでは身体運動は分からない。
 その距離を、走り続けたのか。歩行と走行を切り替えたのか。上り坂ではどうしたのか。下り坂ではどうしたのか。荷物をどこへ保持したのか。疲労をどのように管理したのか。どの程度の頻度で同じ仕事を反復したのか。
 これらによって、身体へ要求される条件は大きく異なる。
 したがって飛脚研究を身体史へ転換するためには、「どれだけ移動したか」から「どのように移動したか」へ問いを進めなければならない。


7.飛脚は本当に「走り続けて」いたのか

 ここで、さらに基本的な問いが生じる。
 そもそも飛脚は、担当区間の全てを現代的な意味で「走り続けて」いたのだろうか。
 「飛脚」という名称や、後世に形成された高速走者のイメージから、常時疾走する人物像を逆算することはできない。
 歩行と走行の境界。速度。歩容。休息。
坂道での運動。荷重条件。
 これらを史料によって確認しなければ、「飛脚の走法」を復元したことにはならない。
 現段階で確認できる史料からは、飛脚制度の存在や問屋の運用、継立、実際の飛脚便等は確認できるが、飛脚一般が一定の特定フォームで走ったことまでを直接証明するものではない。
 したがって、「飛脚」という語から「走り方」を想像するのではなく、史料に記された身体活動を一つずつ拾い上げる必要がある。


8.「飛脚=ナンバ走り」という説明を疑う

 飛脚の走法を語る際、「ナンバ走り」という言葉が用いられることがある。
 しかし、ここでも前稿における「ナンバ歩き」と同じ問題が生じる。
 現代において定義された「ナンバ」という運動カテゴリーを先に置き、過去の図像や記述をそのカテゴリーへ当てはめれば、「ナンバであった証拠」を探す研究になってしまう。
 本来、研究の順序は逆である。
 まず史料を見る。そこに何が描かれているのか。何が書かれているのか。どこまで確認できるのか。
 その後に初めて、身体運動学的解釈を行うべきである。
 したがって本稿では、「飛脚はナンバ走りをしていた」ことを前提としない。
 飛脚の身体を、既存の歩法・走法名称へ先に分類すること自体を保留する。


9.図像から走法を復元できるのか

 飛脚を描いた浮世絵や絵画資料は、身体運動を考察する上で魅力的である。
 しかし、図像資料にも限界がある。
 一枚の絵は、一瞬の姿勢を示す。
 しかし歩行・走行とは時間的に連続する運動である。
 一枚の姿勢から、その直前に何が起き、その直後に何が起きたのかを完全に復元することはできない。
 更に、絵画には様式化、誇張、省略、構図上の要請が含まれる。
 したがって、図像は重要な史料である一方、静止した「形」から動的な「運動」を直接断定しないという慎重さが必要になる。
 これは身体運動研究において極めて重要な方法論上の問題である。


10.「走る身体」は環境から独立していない

 飛脚の身体を考える場合、身体内部だけを分析しても十分ではない。
 街道には坂がある。峠、石畳、土路がある。雨も降れば、雪も降る。暑さもある。
履物も現代のランニングシューズとは異なる。荷物も存在する。
 つまり飛脚の走行とは、身体 × 履物 × 荷重 × 路面 × 地形 × 気候の関係によって成立する。
 身体運動とは、皮膚の内側だけで完結する現象ではない。
 飛脚という「移動身体」は、その環境との関係を含めて初めて理解することができる。


11.旅人・参詣者・継飛脚・走り飛脚を分ける

 近世日本の移動身体を研究するためには、異なる移動者を一括して扱わないことが重要である。
 少なくとも、
旅人―複数日にわたる長距離徒歩移動
参詣者―庶民生活・信仰・遊山と結びついた長距離徒歩移動
継飛脚―宿駅、人馬、継立によって成立する高速通信制度
走り飛脚―一定区間の移動を職能として反復する専門的移動身体
という区別が必要になる。
 この区別によって、「昔の日本人」という一つの曖昧な主体は解体される。
 そこに現れるのは、複数の異なる「移動身体」である。
 旅人には、複数日にわたって長距離を歩き続ける身体がある。
 参詣者には、信仰や旅という生活文化の中で長距離を移動する身体がある。
 継飛脚には、一人の身体能力へ還元することのできない、宿駅・人馬・街道・継立によって成立する高速通信の構造がある。
 そして走り飛脚には、一定区間の移動を反復し、それ自体を職能として成立させる専門的な身体がある。
 これらをすべて「昔の日本人はよく歩き、よく走った」という一文によって括ることはできない。
 まして、そのすべてを「ナンバ歩き」「ナンバ走り」という一つの身体技法によって説明することには慎重でなければならない。
 移動の目的が異なれば、求められる速度も異なる。距離が異なれば、身体に要求される持続性も異なる。荷重、履物、路面、地形、天候、休息、交通制度が異なれば、そこで成立する身体運動もまた同一であるとは限らない。
 したがって、近世日本の移動文化を身体史として研究するためには、「日本人はどのように歩いたのか」「飛脚はどのように走ったのか」という問いを、一つの歩型を探し出す問題へ還元してはならない。
 まず必要なのは、それぞれの移動者が置かれていた具体的条件を可能な限り復元することである。
 誰が移動したのか。何のために移動したのか。どこからどこまで移動したのか。一日にどれほどの距離を移動したのか。それを何日間継続したのか。何を身につけ、何を携行していたのか。
 どのような道を通り、どのような制度の中で移動していたのか。そして、一人の身体が実際に担った移動はどこまでであったのか。
 こうした条件を史料によって明らかにした上で、初めて身体運動の問題へ進むことができる。
 ここで、歴史学と身躰構造學との役割を混同してはならない。
 歴史資料によって確認できる移動距離や所要時間から、過去の人間の具体的な歩き方・走り方を直ちに導き出すことはできない。
 まして、現代に存在する特定の歩法・走法概念を過去へ遡及的に当てはめ、それを史実として扱うことは避ける必要がある。   
 一方で、史料によって移動の実態と条件を可能な限り復元した上で、その移動を成立させるためには、身体にどのような運動条件が必要であったのかと問うことはできる。
 ここに、身躰構造學から歴史的身体を研究する意義がある。
 飛脚についても同様である。問うべきなのは、単に、「飛脚は一日何km走ったのか」ではない。
 更に、「その距離を反復して移動し得る身体とは、どのような身体であったのか」と問わなければならない。
 速さだけではない。持続性。反復性。荷重への対応。路面との関係。足と地面との関係。下肢と体幹部との関係。
 そして、身体全体を前方へ移動させ続ける運動構造。
 こうした問題を一つずつ検討することによって、飛脚は「昔の日本人は速く走れた」という逸話的存在から、近世日本に実在した一つの専門的移動身体として捉え直すことが可能になる。


結語

飛脚の速さではなく、飛脚の身体を問う

 飛脚をめぐる議論では、その驚異的な速達性が注目されやすい。
 しかし、江戸から京都までを数日で結んだという記録と、一人の人間がその全行程を数日で走破したということは同義ではない。
 継飛脚の速達性は、人足、馬、宿駅、街道、継立等が連結された交通構造によって成立したものであり、その制度全体の速度を個人の身体能力へそのまま置き換えることはできない。
 だからこそ、制度と身体を分けて考える必要がある。
 そして制度を分けた後に、なお残るものがある。
 実際に、その道を移動した身体である。街道を歩いた旅人がいた。参詣のために長い道程を歩いた庶民がいた。宿から宿へ情報を継いだ人々がいた。そして、移動することそのものを職能として反復した走り飛脚がいた。
 彼らの身体を一つの「昔の日本人像」へまとめるのではなく、それぞれ異なる条件の中で成立した移動身体として捉える。
 その上で、史料によって確認できる事実と、身体運動学的に検討すべき仮説とを明確に区別する。
 歴史資料から過去の走法を直接つくり上げるのではない。
 まず、移動の実態を復元する。
 そして、その実態を成立させ得た身体運動の条件を問う。
 この順序を守ることによって初めて、飛脚の身体を、伝説でも、現代的な身体技法の投影でもなく、歴史的身体研究の対象として扱うことができる。
 したがって、本稿が最終的に問うのは、「飛脚はどれほど速かったのか」ではない。
 その速さを生み出した制度を明らかにし、その制度の中で実際に移動を担った人間について、「飛脚は、どのような身体で走っていたのか」と改めて問うことである。
 その問いの先に、近世日本の歩行・走行文化を、単なる懐古や伝説から離れ、身体の歴史として捉え直す道が開かれる。
 速さの記録から、身体の記録へ。飛脚研究を身躰構造學から読み直すとは、その転換を試みることなのである。

身躰構造學研究所
フィジカリストOuJi

 

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