今でこそ、「立腰」を指導し、
「立腰姿勢トレーナー」を育成する立場
にある私ですが、
幼少期~大学時代まで、
姿勢は全くよくありませんでした。
人一倍、姿勢が悪かったです。
小学生の時、脊柱検査はいつも
引っかかっていました。
脊柱側弯と言われ、
保健室の先生に
呼び出されたこともあります。
背中が丸く、猫背だったので、
保健室の先生がグッと私の背中を伸ばし、
「このほうがカッコイイよ」
と言ってくれたのを憶えています。
しかし、その姿勢をすることがしんどく、
その場でスグに猫背に戻ってしまい、
先生を呆れさせたことも憶えています。
中学時代、サッカー部に所属していましたが、
筋肉は付いているほうでしたが姿勢が良くなくて、
姿勢矯正ベルトを装着していたこともあります。
中学3年の頃から視力が低下し始めましたが、
これも今思い返せば、不良姿勢が原因になっています。
高校時代は格闘技の無茶なトレーニングの影響で、
身体をまっすぐ保つのがツライ状態になりました。
マッスグ身体を保持しようとすると、
左の背中がギューッと締めつけられるように
痛くなってくるのです。
椎間板ヘルニアも発症し、
腰を立てて座ることは全くできませんでした。
寝転んでいるのが一番楽でしたが、
ずっと寝転んでいると、今度は
全身が硬直して寝返りができなくなり、
起き上がるのに1時間以上かけないと
いけない状態になるほど深刻でした。
中高と、心臓検診でも常に「異常あり」で、
自分の心臓に不安を抱えていました。
別に「シンゾ~(死ぬぞ~)」と言われていないのに(笑)、
特に中学の時は多感な時期でもあるので、
心臓検診で引っかかってるたびに
心臓のことを過剰に意識してしまい、
心臓神経症の症状が出ることも
しばしばありました。
これなども、今思い返せば、
前屈みの縮こまる姿勢が、
心臓および血管(特に腹部大動脈・大静脈)を
圧迫していたことが原因になっています。
心臓神経症も、神経質になりすぎたのと、
姿勢が悪く、肋間筋が正常に働いていなかった
のが原因になっています。
神経質になりすぎるのも
姿勢が悪い人の特徴で、
酸素が脳に行き渡っていないと、
人は余計な不安や心配を呼び起こす
ようになっているのです。
高校1年生半ば頃~2年生にかけて、
一番青春真っ盛りの頃に、
私の不健康度合いは
いよいよピークに達します。
背部激痛、腰痛、頭痛、不整脈、アレルギー、
心臓神経症、ぜんそく。。。
特に夜になると、咳が止まらなくなり、
ぜんそくの症状がずっと続き、
なかなか眠れず、苦しい日々が続きました。
整体などにも通いましたが、
一向に良くならず、
当時の整体のおじいちゃん先生に、
「全然治らないです」と言うと、
「なんでワシが治さなアカンねん!
お前が悪くしたくせに!」
と言われてしまいました。笑
でも、そこで私は初めて気づいたんです。
「そっか。。。確かに、俺のせいやな」
そして、こう決意しました。
「よっしゃ、じゃあ、自分で治したろう!
自分で治すしかない!」
はじめに取り組み出したのは、
当時健康になりたくて
むさぼるように読んでいた「家庭の医学」
に書いてあった、呼吸法です。
仰向けに寝転がって、本をお腹の上に置き、
本を持ち上げるように息を吸い、
本が下りてくるように息を吐く。
息を吐く時には、
口をろうそくの火を消すときのように
「フゥ~」という口にして、ゆっくりと、
できるだけ吐く息を長い目にして呼吸を繰り返しました。
すると、どうでしょう?
あれだけつらかったぜんそくの発作が、
呼吸法初日から起こらなくなったのです。
それからというもの、ぜんそくの発作が起きる夜になると、
必ず呼吸法を行うようにしました。
2週間~3週間ぐらい続けると、
呼吸法をしなくても、全く発作が起こらなくなりました。
と同時に、激痛だった背中の痛みが、
少し和らいでいるのを感じました。
その呼吸法と併行して次に取り組んだのが、
白隠禅師の「軟酥(なんそ)の法」です。
この「軟酥の法」が、その後、
私の身体に劇変(大変革)を起こす原点となります。
「家庭の医学」か、何かの本だったか、
その辺の記憶は定かではないですが、
白隠禅師の「軟酥の法」が、
呼吸器系疾患、神経症、不眠、頭痛、痛み
などに効く!というのを読んだのがキッカケです。
軟酥の法は、「寝禅」と言われるぐらい、
寝ながら呼吸とともに
身体中を意識をしていく方法ですので、
私にとっては楽に続けられました。
呼吸と意識がしんどいという人もいますが、
その時の私には合っていました。
来る日も来る日も、軟酥の法を続けました。
すると、徐々に徐々に、薄皮を剥いでいくかのように、
背中の激痛が、和らいでいくのです。
夜もよく眠れるようになり、
頭痛もしなくなり、
朝起きると身体中が痛くて
起き上がれなかったのが、
スッと起き上がれるように
なってきたのです。
この“変化”は、本当に嬉しかった。
今もよく言うのですが、
病気の人、不健康な人にこそ、
健康になる喜びがあるのです。
劇症だった人ほど、
少しでも良い状態になることが、
とても幸せに感じるのです。
このときの実体験が、
私に「健康になる」ということの喜び
を教えてくれました。
この喜びの体験が、
今の仕事をすることになる原点になっています。
※まだまだ続きます!つづきをお楽しみに♪