フィジカリストOuJi身躰構造學とは

◆身躰を知れば、人はもっと自由に動ける。

人間の身躰には、
まだ使われていない構造がある。

まだ動いていない骨がある。
まだ感じられていない脊椎がある。
まだ成立していない構造と構造との関係がある。

私たちは、自分の身躰を全て使って生きているようでいて、
実際には、その一部だけを使って動いていることがあります。

よく動く處だけが動く。
動きやすい場所へ運動が集中する。

本来は別々の構造であるものが、
一塊となって動く。

そして、まだ運動へ参加していない構造が、
身躰の中に数多く残されている。

フィジカリストOuJi身躰構造學は、
こうした「未だ現れていない身躰可能性」を、
身躰の構造そのものから探究する身躰研究體系です。


◆フィジカリストOuJi身躰構造學――中核定義

フィジカリストOuJi身躰構造學とは、人間の身躰を、
筋肉・関節・部位の集合としてではなく、複数の身躰構造と、
その構造間関係によって成立する動的存在として捉え、
その構造間関係、互動、構造可変性、運動分布および
未開の身躰可能性を研究・開發する、フィジカリストOuJiこと
河上雄太が創始・體系化した身躰研究體系である。


◆身躰を「部位」ではなく、「構造間関係」から見る

フィジカリストOuJi身躰構造學
において重要なのは、

一つの骨だけを見ないこと。

大腿骨だけを見るのではない。
寛骨だけを見るのでもない。
胸椎だけを見るのでもない。
肋骨だけを見るのでもない。

見るのは、

大腿骨と寛骨。
胸椎と肋骨。
仙骨と寛骨。
一椎と隣接椎。

則ち、
構造と構造との「関係」です。

一骨が動けば、他の構造との関係が変わる。

その関係が変われば、
更に別の構造が動く可能性が生まれる。

身躰運動とは、一つの部位だけに
起こるものではなく、
複数の構造間関係が絶えず
変化することによって成立しています。

フィジカリストOuJi身躰構造學は、
この「構造間関係」を身躰理解の中心に置きます。


◆「どれだけ動くか」ではなく、「何が動いているか」

一般に身躰の柔軟性や運動能力は、

「どこまで曲がるか」
「どこまで反れるか」
「どれだけ開くか」

といった、外形的な運動量によって
評価されることがあります。

しかし、大きく動ける身躰だからといって、
身躰を構成するすべての構造が十分に
運動へ参加しているとは限りません。

大きく反れていても、実際には
腰椎ばかりが動いているかもしれない。

大きく前屈できても、限られた構造だけで
その運動を成立させているかもしれない。

そこで私たちは、

「どれだけ動いたか」だけではなく、
「その動きを、何が担っているのか」
を見ます。

どの構造が動いているのか。
どの構造がまだ動いていないのか。
どこへ運動が集中しているのか。
どの構造間関係が変化しにくいのか。

そして、まだどのような運動可能性が
身躰に残されているのか。

これが、身躰構造學における
身躰観察です。


◆「硬い身躰」を、もう一度考える

身躰が硬いとは、本当に
「筋肉が伸びないこと」だけなのでしょうか。

フィジカリストOuJi身躰構造學では、
「硬さ」を単純な柔軟性の大小だけでは捉えません。

複数の構造が一塊となっている。
構造と構造との相対的位置関係が変化しない。
一方向には動けても、別方向には変化できない。
特定の場所ばかりへ運動を依存している。

こうした状態もまた、

構造間関係が変化しにくい

という意味において、
構造的な「硬さ」として
捉えることができます。

したがって、目指すのは単純に
「柔らかい身躰」ではありません。

変われる身躰。

必要に応じて、
構造と構造との関係を変えられる。

より多くの構造が運動へ参加できる。

一つの固定された形ではなく、
運動条件に応じて多様な構造関係を形成できる。

その構造可変性を開發していきます。


◆互動―構造と構造は、互いに動く

フィジカリストOuJi身躰構造學
における中核概念の一つが、

互動

です。

一構造が動く。
すると、他構造との関係が変わる。

その関係変化によって、
別構造の運動条件が変わる。

別構造が動く。
更に次の構造との関係が変わる。

身躰とは、一つ一つの部位が
孤立して働くものではありません。

複数の構造が、それぞれの独立性を保ちながら、
互いとの関係を変化させ続けています。

この構造間の相互的な運動を、
私たちは「互動」と捉えています。


◆スキマッチ―身躰に「間」をつくる

複数の構造が一塊となれば、その構造と構造との
間に存在するはずの相対運動が現れにくくなります。

そこで重要となるのが、

スキマッチ

という考え方です。

スキマッチとは、単純に骨と骨との
物理的距離を広げることではありません。

構造と構造との間に、
関係を変えられる余地をつくること。

開ける。
閉じられる。
傾ける。
廻れる。
近づける。
離れられる。

つまり、「間」が働く身躰をつくる。

この「間」が生まれることで、
それまで一塊であった構造が、
それぞれの構造として運動へ
参加する可能性が展かれていきます。


◆展體―「伸ばす」から「展く」へ

従来の「ストレッチ」という言葉では
十分に表現できない身躰開發があります。

筋を引き伸ばすのではない。
単純に身体を長くするのでもない。
閉じているものを展く。
一塊になっている構造を展開する。
構造と構造との「間」を展く。

そして、まだ現れていない身躰可能性を展く。

これを、展體と称します。

そして、構造と構造との互動によって
身躰を展く具体的方法を、

互動展體

と称します。

伸ばすのではない。
身躰を「展く」。

これも、フィジカリストOuJi身躰構造學を
構成する重要な身躰開發概念です。


◆構造は、すべてに通じる。

ここで重要なのは、フィジカリストOuJi身躰構造學が、
「構造整躰」だけを意味するものではないということです。

構造整躰は、フィジカリストOuJi身躰構造學
から展開される一つの応用體系です。

その上位には、
フィジカリストOuJi身躰構造學
という基礎理論・學問體系があります。

そして、その身躰構造理論は、整躰だけではなく、人
間が行うさまざまな身躰活動へ展開されていきます。

呼吸に展開すれば、構造呼吸法

発声に展開すれば、構造発声

瞑想に展開すれば、構造瞑想

歩行に展開すれば、構造歩行法

武術に展開すれば、構造武術

整躰に展開すれば、構造整躰

となります。

更に、これまで體系化してきた、

互動法
展體法
立腰
脊椎開發
身体構造研究

等も、フィジカリストOuJi身躰構造學を構成する、
或いはそこから展開される領域として存在します。

つまり、

身躰構造學=基礎學

そして、

構造〇〇=応用學・各論

という関係です。


◆全ては、構造が通ることから始まる。

呼吸そのものを操作するのではない。
声そのものを操作するのではない。
心だけを操作するのではない。
歩き方という外形を真似するのではない。
武術の技だけを覚えるのではない。
身躰を外から「直す」だけでもない。

その前に、構造を見る。

呼吸も、構造。
発声も、構造。
瞑想も、構造。
歩行も、構造。
武術も、構造。
整躰も、構造。

対象は異なっていても、その基盤には同じ身躰構造があります。

だから、

構造呼吸法
構造発声
構造瞑想
構造歩行法
構造武術
構造整躰

は、それぞれ独立したバラバラの
技法ではありません。

全て、

フィジカリストOuJi身躰構造學

という一つの基礎學から展開された各論です。

対象は違う。原理は一つ。
全ては、構造が通ることから始まる。


◆構造は、技術を超えた真の基盤。

呼吸法を覚える。
発声法を覚える。
瞑想法を覚える。
歩行法を覚える。
武術の技を覚える。
整躰の技法を覚える。

それぞれの技術を學ぶことはできます。

しかし、フィジカリストOuJi身躰構造學が見るのは、
その更に下にあるものです。

その技術を行っている身躰は、
どうなっているのか。

何が動いているのか。
何が動いていないのか。
どの構造へ運動が集中しているのか。
構造と構造との関係は変化しているのか。
互動しているのか。
一塊となっていないか。
「間」は働いているのか。

技術以前に、その技術を
成立させる身体構造がある。

だから、

構造は、技術を超えた真の基盤。

なのです。


◆構造整躰―身体を直すのではない

フィジカリストOuJi身躰構造學では、
身体への他動的な働きかけについても、
独自の構造観から體系化しています。

それが、構造整躰です。

構造整躰が見るのは、
一骨の「正しい位置」だけではありません。

一骨を入口として、

その骨は何と関係しているのか。
その関係は変化できるのか。
どの構造がまだ運動へ参加していないのか。
一つの働きかけから、どのような互動が生じるのか。

を観察します。

したがって、
身躰を外から完成形へ直すこと
を目的とはしません。

構造間関係へ必要最小限に働きかけ、
本人の身躰自身が、構造関係を
変化させられる条件をつくる。

それが構造整躰です。


◆「治す」だけではなく、「開發する」

フィジカリストOuJi身躰構造學が対象とするのは、
症状のある身躰だけではありません。

症状がなくても、

まだ動いていない構造がある。

まだ成立していない互動がある。

まだ展かれていない「間」がある。

まだ身躰感覚に現れていない骨がある。

つまり、

未開の身躰

が存在します。

身躰開發とは、新しい身躰を
外から付け足すことではありません。

既にある骨を、運動として現す。
既に存在している構造を、運動へ参加させる。
既に身躰に存在している可能性を、展く。

フィジカリストOuJi身躰構造學は、

「悪い身躰を直す學問」ではなく、
「まだ現れていない身躰を開發する學問」

です。


◆約12万人の身躰観察から

フィジカリストOuJi身躰構造學は、
理論を先につくり、その理論へ身躰を
当てはめることから始まったものではありません。

フィジカリストOuJiこと河上雄太が、長年にわたり
約12万人に及ぶ身躰への施術・観察を重ねる中で、
繰り返し現れる身躰現象を整理し、
概念化し、體系化してきたものです。

一骨だけでは説明できない。
外形上の可動域だけでは説明できない。
強い刺激ほど大きく変わるとも限らない。
一構造が変わることで、別構造まで変化する。

そうした実際の身躰観察から、

構造間関係
局所運動依存
構造可変性
構造運動分布
互動
最小刺激
スキマッチ
展體
構造整躰

といった概念が形成されてきました。

ただし、約12万人という経験量そのものを
科学的実証とは位置づけていません。

経験から問いを生み、定義し、測定し、
第三者が検証可能な研究へ進めていく。

その為に、身躰構造學研究所では
研究論考の発表および理論體系の整理を進めています。


◆身躰を「完成」させるのではない

フィジカリストOuJi身躰構造學に、
一つの完成された身躰の形があるわけではありません。

人は立つ。

坐る。

歩く。

走る。

屈む。

反る。

廻る。

呼吸する。

その度に必要となる構造間関係は変わります。

だから、目指すのは一つの「正しい姿勢」へ
身躰を固定することではない。

必要な時に、必要な構造関係をつくれる身躰。

一つの関係から、別の関係へ移れる。
より多くの構造が運動へ参加できる。
構造と構造との「間」が働く。

そして、身躰自身が整い続けられる。

それが、フィジカリストOuJi身躰構造學の目指す身躰です。


◆フィジカリストOuJi身躰構造學

身躰を部位ではなく、構造間関係から見る。

形ではなく、可変性を見る。

動き過ぎる場所を止めるのではなく、
まだ動いていない構造を運動へ参加させる。

筋を伸ばすのではなく、身躰を展く。
身躰を直すのではなく、身躰が変われる条件をつくる。
そして、まだ現れていない身躰可能性を開發する。

構造を見つめ、
関係をひらき、
身躰の可能性を開く。

そして、その考え方は一つの領域に留まりません。

呼吸へ展開すれば、構造呼吸法。
発声へ展開すれば、構造発声。
瞑想へ展開すれば、構造瞑想。
歩行へ展開すれば、構造歩行法。
武術へ展開すれば、構造武術。
整躰へ展開すれば、構造整躰。

これらは、それぞれ独立した別々の技法ではありません。

全ては、

フィジカリストOuJi身躰構造學

という一つの基礎學から展開された各論です。

対象は違う。
原理は一つ。

全ては、構造が通ることから始まる。

呼吸も、構造。
発声も、構造。
瞑想も、構造。
歩行も、構造。
武術も、構造。
整躰も、構造。

技術より先に、構造がある。
方法より先に、構造がある。

そして、あらゆる身躰活動の根底に、
その活動を成立させている身躰構造がある。

だから、

構造は、技術を超えた真の基盤

なのです。

フィジカリストOuJi身躰構造學は、身躰を一つの
完成された形へ固定するための學問ではありません。

人間の身躰に既に存在しながら、
まだ十分に現れていない構造。

まだ動いていない骨。
まだ成立していない互動。
まだ展かれていない「間」。
まだ利用されていない運動可能性。

それらを見つけ、
関係を展き、運動へ参加させ、
本人の身躰自身が、多様な構造関係を
形成できるようにしていく。

則ち、

未開の身躰を、開發する。

それが、フィジカリストOuJi身躰構造學です。


◆フィジカリストOuJi身躰構造學

身躰構造學=基礎學。
構造〇〇=応用學・各論。

そして、その全てを貫くものは、

構造間関係。

互動。
構造可変性。
運動分布。
そして、未開の身体可能性。

身躰を変えるのではない。
身躰が、変われるようにする。

身躰を完成させるのではない。
身躰が、変化し続けられるようにする。

身躰を外から正すのではない。
身躰自身が、必要な構造関係を
つくれるようにする。

それが、

フィジカリストOuJi身躰構造學

です。

創始・研究
フィジカリストOuJiこと河上雄太

身躰構造學研究所