| 〜代表プロフィール〜 |  |
【経歴】
フィジカリスト OuJi
立腰体操 創始者/身躰構造研究家
株式会社 立腰ジャパンは、
「身躰の根源に立ち返る」という思想を基盤に、
人が本来もっている 自ら調い、自立して生きる力を
教育・体操・武術・研究を通じて現代に甦生させる専門研究機関です。
私たちが扱うのは、
治療・矯正・指導によって「外から変える」身躰ではありません。
赤ん坊、脊椎動物、生命の起源にまで立ち返り、
身躰そのものが本来もっている調整力・回復力・秩序を
内側から呼び戻す実践体系です。
主な事業は以下の通りです。
● 立腰体操の研究・開発・普及
身躰の根源構造に基づいた体操体系の構築と指導
● 剣術・武術を通じた身躰研究と教育
達人依存を生まない、誰もが到達できる身躰操作の探究
● 指導者・トレーナー養成事業
思想と実践を併せ持つ人材の育成
● 身躰文化・生命観の研究と発信
講座・執筆・映像を通じた知の継承と共有
立腰ジャパンが目指すのは、
特別な治療者・達人・技法に依存しなくても成り立つ社会。
身躰が甦生すれば、支配も依存も不要になる
その根本的な変化を、身躰から実現していきます。
| フィジカリストOuJi=腰の王子:河上雄太ヒストリー |
【小学校】
小学校~中学校にかけて、全くしゃべらない大人しい子だった。自分から話しかけることは一切なく、相手がしゃべるのを
うなづくか、首を横に振るか、首をかしげるかだけで過ごしてきた。
全くしゃべらないわりには、友だちもいて、しゃべらない分、友だちや女の子の話の聞き役になっていた。
全くしゃべらない分、人のことを具に観察していた。その人のクセや、どんなことを考えているのかなど、
自然と表情やしぐさや声のトーンから何となく読み取ることができた。
小学校の時、お昼休みは、あまり群れて遊ぶことはせず、1人で遊んだり、ドラム缶の中にいることが楽しかった。
勉強は苦手だったが、身体のしくみ(理科)に関することはなぜかよく憶えられ、国語もまあまあ好きで、
一番の得意科目は体育だった。
小1~小6まで、誰にもゆずることなく背の順一番前を獲得していた。笑「前に習え!」はいつも腰に手を当てていた。
身体は人一倍小さくても、人一倍すばしっこさがあり、運動神経は抜群によかった。
運動会ではカケッコでいつも1位だった。
組み立て体操などでは、いつも一番上からみんなのことを見下ろしていた。笑
習い事は、母親から公文や塾を習わされたが、全く続かずに1~2ヶ月ですぐに挫折。
唯一、空手(練心館)だけは4年ほど続いた。
小6からサッカー(藤井寺スポーツ少年団)を習い始める。これがハマり、中3までサッカーを続けることになる。
【中学校】
中学時代は、サッカー部に所属し、サッカーに明け暮れた。中学校時代の記憶は、サッカーしかない、というほど。笑
当時はロベルト・バッジオやロマーリオ、バティストゥータたちが
全盛の時代だった。
身体は人一倍小さいが運動神経は抜群だったので、中学1年の時から、2~3年生の試合に出場していた。
ポジションは、ディフェンス(サイドバック)かボランチだった。
サッカー部なのに、全くしゃべらない子だった。笑
中学となれば、自分より体格の大きい人ばかりで、先輩の試合に出るとなれば、より身体が大きく、
当たり負けしてしまうので、どうすれば当たり負けしないか
を考えて、トレーニングをやり始めた。
これが、私のトレーニング人生、身体研究の始まりとなった。
トレーニング内容は、筋トレとストレッチがメインで、当時から筋力トレーニングやスポーツ生理学の本を読んで勉強していた。
その過程で、肋骨の柔らかさが、当たり負けしない上で重要だとわかった。
中学2年生の一時期、南河内選抜に選ばれるも、極度の人見知りの性格のため、挫折。
周りのレベルの高さにも圧倒された。
うまい先輩のマネをすればうまくなることがわかり、しゃべらない、大人しい性格が幸いして、
先輩の動きなどをよく観察して、マネをすることでサッカーが上達した。
小学生の時からジャッキー・チェンが好きだったが、中学1年の時に、「酔拳2」を見て、カンフー(中国武術)の世界にも魅了される。
その過程で、ブルース・リーの存在を知る。
さらに詳しくは、以下の動画をご覧下さい。