会長 腰の王子=フィジカリストOuJi プロフィール | |
【氏名】河上 雄太(かわかみ ゆうた) 【愛称】腰の王子☆ゆうちゃん
1982年3月大阪府藤井寺市生まれ
・JTA日本立腰協会代表
・フィジカリスト(身体論者)
・整体師/施術家/武術家
・カラダから世界を変える男
・日本をこよなく愛する男
・江戸時代以前の身のこなし研究家
【趣味・特技】
居合抜刀術
背骨を1本1本動かすこと
【経歴】
2000年 大阪府立羽曳野高等学校(当時)卒業 同年、四天王寺国際仏教大学 人文社会学部言語文化学科アラビア語アラビア文化専攻入学
2003年 大阪医専 メディカルトレーナー学科入校 2005年 マッサージ治療院にて、鍼灸・按摩歴40年(当時)の師匠に出会い、修業を積む。 2007年4月 関西メディカルスポーツ学院入学 2007年5月 日本回復整体総合学院APP法スクーリング修了 2007年7月 『からだよくなる整体院』を開業 2008年9月 日本回復整体総合学院CTC法スクーリング修了 2009年5月より、屋号を「成楽庵」に改名 2009年10月 日本回復整体総合学院達人コース(長期コース)修了 2010年~2011年 日本回復整体総合学院大阪校校長を歴任 2015年10月 長年臨床現場で研究・構築してきた理論と経験から 「立腰」の重要性を認識し、「JTA日本立腰協会」を創立
独自の整体運動療法「立腰体操法」を開発し、体系化する
【小学校】
小学校~中学校にかけて、全くしゃべらない大人しい子だった。 自分から話しかけることは一切なく、相手がしゃべるのを
うなづくか、首を横に振るか、首をかしげるかだけで過ごしてきた。
全くしゃべらないわりには、友だちもいて、 しゃべらない分、友だちや女の子の話の聞き役になっていた。
全くしゃべらない分、人のことを具に観察していた。 その人のクセや、どんなことを考えているのかなど、
自然と表情やしぐさや声のトーンから何となく読み取ることができた。
小学校の時、お昼休みは、あまり群れて遊ぶことはせず、 1人で遊んだり、ドラム缶の中にいることが楽しかった。
勉強は苦手だったが、身体のしくみ(理科)に関する ことはなぜかよく憶えられ、国語もまあまあ好きで、
一番の得意科目は体育だった。
小1~小6まで、誰にもゆずることなく背の順一番前を獲得していた。笑 「前に習え!」はいつも腰に手を当てていた。
身体は人一倍小さくても、人一倍すばしっこさがあり、 運動神経は抜群によかった。
運動会ではカケッコでいつも1位だった。
組み立て体操などでは、いつも一番上から みんなのことを見下ろしていた。笑
習い事は、母親から公文や塾を習わされたが、 全く続かずに1~2ヶ月ですぐに挫折。
唯一、空手(練心館)だけは4年ほど続いた。
小6からサッカー(藤井寺スポーツ少年団)を習い始める。 これがハマり、中3までサッカーを続けることになる。
【中学校】
中学時代は、サッカー部に所属し、サッカーに明け暮れた。 中学校時代の記憶は、サッカーしかない、というほど。笑
当時はロベルト・バッジオやロマーリオ、バティストゥータたちが
全盛の時代だった。
身体は人一倍小さいが運動神経は抜群だったので、 中学1年の時から、2~3年生の試合に出場していた。
ポジションは、ディフェンス(サイドバック)かボランチだった。
サッカー部なのに、全くしゃべらない子だった。笑
中学となれば、自分より体格の大きい人ばかりで、 先輩の試合に出るとなれば、より身体が大きく、
当たり負けしてしまうので、どうすれば当たり負けしないか
を考えて、トレーニングをやり始めた。
これが、私のトレーニング人生、身体研究の始まりとなった。
トレーニング内容は、筋トレとストレッチがメインで、 当時から筋力トレーニングやスポーツ生理学の本を読んで勉強していた。
その過程で、肋骨の柔らかさが、当たり負けしない上で重要だとわかった。
中学2年生の一時期、南河内選抜に選ばれるも、 極度の人見知りの性格のため、挫折。
周りのレベルの高さにも圧倒された。
うまい先輩のマネをすればうまくなることがわかり、 しゃべらない、大人しい性格が幸いして、
先輩の動きなどをよく観察して、マネをすることでサッカーが上達した。
小学生の時からジャッキー・チェンが好きだったが、 中学1年の時に、「酔拳2」を見て、カンフー(中国武術)の世界にも魅了される。
その過程で、ブルース・リーの存在を知る。
さらに詳しくは、以下の動画をご覧下さい。