「何をするか」から「どのような身体が行うか」へ
―運動効果を規定する身体的前提と構造的条件の再検討

要旨

 運動・健康・トレーニングをめぐる一般的な議論では、しばしば「何を行うか」が主要な問題として扱われる。ウォーキング、ストレッチ、筋力トレーニング、体操、ヨガ等について、その実施頻度、時間、回数、距離、強度などが定量化され、それらと健康指標あるいは運動効果との関連が検討されてきた。
 しかし、同一の運動課題を実施した場合であっても、その結果がすべての実践者に一様に生じるわけではない。この事実は、運動効果を規定する変数として、「何を行うか」のみならず、「どのような身体がそれを行うか」という身体側の条件を検討する必要性を示唆する。
 本稿では、この問題を身躰構造學の観点から考察する。とりわけ、運動の種類や量を一次的な評価対象とする従来の枠組みに対して、運動主体である身体の構造的状態を先行条件として位置づける。そして、「身体を構造通りに使う」という立腰体操の基本思想を手がかりとして、運動効果を「運動課題×実践主体」の関係から捉え直すための概念的枠組みを提示する。


1.運動効果は「運動そのもの」に内在するのか

 「ウォーキングは身体に良いか」「このトレーニングは効果的か」「一日に何歩歩けばよいか」といった問いは、健康・運動領域において頻繁に提示される。
 これらの問いには、ある共通した前提が存在する。
 即ち、特定の運動には一定の効果が内在しており、その運動を実施すれば、実践者にも概ね同様の効果が生じるという前提である。
 しかし、実際の身体実践においては、同じ運動を行った者すべてに同一の結果が生じるわけではない。
 ある者にとって有益であった運動が、別の者にとっては過剰な負担となる場合がある。同じ歩行距離、同じ運動時間、同じ反復回数であっても、疲労の程度、疼痛の発生、運動後の身体感覚、運動遂行能力等には個人差が存在する。
 この差異を単に「体力差」「年齢差」「個人差」という語によって処理するだけでは、重要な問題が残される。
 それは、その運動を、どのような身体が行ったのかという問題である。


2.「何をするか」から「誰がするか」へ

 例えば、歩行を考えてみたい。
 「一日一万歩」「七千歩」「八千歩」といった歩数は、運動量を表す指標として明快である。しかし、歩数それ自体は、歩行という運動がどのように遂行されたかを示すものではない。
 同じ八千歩であっても、身体各部が協調的に運動している者と、特定部位に過剰な負担を集中させながら歩行している者とでは、八千歩が身体にもたらす意味は異なり得る。
 したがって、何歩歩いたかという量的問題と、どのような身体で、どのように歩いたかという質的問題は区別されなければならない。
 更に言えば、「どう歩くか」以前に、どのような身体が歩いているのかという問いが存在する。
 本稿が問題とするのは、この身体的前提である。


3.運動主体という「前提条件」

 運動は、身体から独立して存在するものではない。
 歩行するのは「歩行」という運動そのものではなく、人間である。
 スクワットを行うのも、ヨガを行うのも、ラジオ体操を行うのも、トレーニング方法そのものではなく、それを実践する身体である。
 にもかかわらず、運動効果について論じる際には、運動方法、時間、回数、強度などの「課題側」の条件が前景化し、運動を遂行する「身体側」の条件が相対的に背景化することがある。
 ここから、次の仮説を提示することができる。
 運動効果は、運動課題のみの属性ではなく、運動課題と、それを遂行する身体との関係によって成立する。
 概念的には、運動効果 = 運動課題 × 身体的条件として捉えることができる。
 これは数理的な公式ではない。運動効果を運動方法そのものへ帰属させるのではなく、実践主体との関係から捉えるための概念モデルである。


4.「構造通りに使う」とは何か

 立腰体操では、「身体を構造通りに使う」という表現を用いる。
 ここでいう「構造」とは、単なる姿勢の外形や、静的な骨格配列のみを意味するものではない。
 人体を構成する骨格には、それぞれ固有の形態があり、それらは関節を介して相互に関係している。脊柱、肋骨、肩甲骨、上腕骨、骨盤、大腿骨等は、実際の運動において完全に独立して作用するわけではない。
 したがって、身体運動を理解するためには、個々の部位の可動性のみならず、身体各部がどのような関係性のもとで運動を形成しているかを検討する必要がある。
 身躰構造學では、この関係性を重視する。
 即ち、「身体を構造通りに使う」とは、特定の「正しい姿勢」を固定することではなく、身体各部がその形態的・関係的条件を活かしながら、全体として運動へ参加できる状態を探究することを意味する。


5.立腰とは「腰を立てること」ではない

 「立腰」という語は、文字通りには「腰を立てる」と解釈されやすい。
 しかし、本稿における立腰は、その意味に限定されない。
 立腰体操における「立腰」は、身体の根源に立ち返ることを意味する。
 「腰」は古くから「身体の要」と表現される。「要」とは中心・枢要を意味する。したがって立腰とは、単に腰部の姿勢を操作する技法ではなく、身体をその根源的な成立条件から捉え直すための概念として位置づけられる。
 別の表現を用いるならば、Return to Structure――構造へ還るということである。
 立腰体操とは、この思想を身体実践として具体化する一つの方法である。


6.身体には「取扱説明書」がない

 現代人は、自動車、家電製品、情報機器等を使用する際、その構造や使用方法について一定の説明を受ける。
 しかし、自らの身体について体系的な「取扱説明」を受ける機会は驚くほど少ない。
 脊柱はいくつの椎骨から構成されるのか。鎖骨はどのような形態を有するのか。大腿骨はどこに位置し、どのような形態をしているのか。肋骨は運動時にどのように関与するのか。これらは一生涯使用し続ける自らの身体を構成する基本的要素であるにもかかわらず、多くの者にとって十分に意識されることなく生活が営まれている。
 ここには、身体教育上の一つの問題が存在する。
 身体運動を推奨する以前に、「その身体がどのような構造を有しているのかを知る」という教育が必要なのではないか。


7.運動量の定量化が捨象するもの

 運動科学・健康科学において、歩数、時間、距離、回数、強度等の定量化は不可欠である。
 一方で、定量化によって捉えやすくなるものがあると同時に、そこから捨象されるものも存在する。
 例えば、「一日八千歩」という情報からは、その人物がどのような身体運動によって八千歩を遂行したのかまでは分からない。
 同様に、「三十分運動した」という情報のみでは、その三十分間に身体各部がどのように関係し、どの部位に負荷が集中し、どのような運動パターンが反復されたかを判断することはできない。
 したがって、運動量を評価する際には、量(quantity)と質(quality)を区別しながら統合的に評価する必要がある。
 更に本稿では、その質を生み出す前提として、身体の構造的状態を問題にする。


8.睡眠においても「何時間」だけではない

 同様の問題は睡眠にも認められる。
睡眠をめぐっては、「何時間眠るか」という時間的指標が注目されやすい。
 しかし、睡眠時間は睡眠を評価する重要な変数の一つではあっても、それのみで睡眠という現象全体を記述することはできない。
 ここで身体実践の立場から問いたいのは、「どのような身体が眠るのか」という問題である。
 日中にどのような身体活動を行ったか、身体各部がどのような状態にあるか、呼吸や身体的緊張がどのような状態にあるか等は、睡眠と無関係とは考えにくい。
 ただし、身体構造と睡眠の質との具体的な因果関係については、独立した実証的検討を必要とする。
 したがって本稿では、「構造通りに動く身体ほど睡眠の質が高くなる」と断定するのではなく、睡眠研究においても時間的指標だけではなく、睡眠する主体の身体的条件を検討する余地があるという問題提起に留めたい。


9.「身躰開發」という概念

 立腰体操では、「トレーニング」「エクササイズ」とは別に、身躰開發という語を用いてきた。
 身躰開發とは、特定の筋力、柔軟性、持久力等の能力を単独で高めることのみを目的とするものではない。
 身体そのものの構造を理解し、その構造が運動の中で発揮される可能性を探究する過程を意味する。
 したがって、身躰開發の対象は特定の競技動作に限定されない。
 歩行、立位、坐位、呼吸、睡眠、スポーツ、武術、芸術活動など、身体を介して行われるあらゆる行為の基盤に関係し得る。
 この意味において、立腰体操は特定の運動種目そのものを上達させる「専門技術」というよりも、さまざまな身体活動に先行する基礎的身体条件を再検討するための実践体系として位置づけることができる。


10.運動効果を決める「本当の条件」とは何か

 「何をやれば健康になるのか」。
 この問いに対して、現代社会には膨大な回答が存在する。
 歩く。走る。筋力トレーニングをする。ストレッチをする。ヨガをする。体操をする。
 しかし、本稿が提示したいのは、それらの優劣ではない。
 むしろ、それ以前の問いである。その運動を、どのような身体が行うのか。同じ運動で異なる結果が生じるのであれば、その差異を運動方法だけに求めることはできない。運動を行う主体としての身体そのものを、分析対象へ戻す必要がある。
 したがって、運動効果を考える際には、「何をするか」から「どのような身体で、それをするか」へ視点を拡張する必要がある。


結語

方法の選択以前に、身体を問う

 健康・運動領域では、新しい運動方法、新しいトレーニング、新しい健康法が絶えず提案される。
 しかし、方法が更新され続けても、それを実践する主体は身体である。
 身体が方法に従うのではない。あらゆる方法は、身体によって実践される。
 この当然の事実に立ち返るならば、運動効果について考える際、方法論だけでなく、方法を実行する身体そのものを問う必要がある。
 何をするか。何回するか。何分するか。何歩歩くか。それらを問うことには意味がある。
 しかし、その前にもう一つ問いたい。どのような身体が、それを行うのか。本稿が提示する「身体を構造通りに使う」という視点は、この問いから出発する。
 そして、立腰体操が目指してきたものも、特定の体操そのものを目的化することではない。身体の根源に立ち返ること。身体の構造を知ること。そして、その構造が本来有する運動可能性を、実際の身体を通して開發していくこと。
 即ち、Return to Structure――構造へ還る。「何をやるか」を問い続けてきた運動論に対して、「どんな身体でやるか」という問いを加える。
 そこから、運動効果をめぐる議論は、もう一段深い身体論へ進むことができるのではないだろうか。

身躰構造學研究所
フィジカリストOuJi

 


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