![]() 紙媒体と電子媒体における読書行為の身躰性 ―情報の取得から、身躰を介した知の獲得へ 紙の書籍と電子書籍の差異は、単なる情報媒体の形式的差異として捉えるだけでは十分ではない。両者は、文字情報を伝達するという機能においては共通している。しかし、「読書」という行為を、文字情報の視覚的取得のみならず、身躰を介した知覚・認知活動として捉えるならば、紙媒体と電子媒体の間にはより根本的な差異が存在する。 紙の書籍は、物理的実体を有する。重量があり、厚みがあり、固有の大きさをもち、読者はそれを手で保持し、ページを指でめくる。読書が進行するにつれて、未読部分と既読部分の厚みの比率も変化する。読者はページを前後し、ときには数十ページを一度に戻り、過去に読んだ箇所へ身躰的操作によって再び到達する。 したがって紙の読書において、読者が経験しているのは文字情報だけではない。 読者は情報を読むと同時に、身躰によって書物内部を移動している。 さらに、紙面上の情報には空間的位置が与えられている。「あの記述は本の前半にあった」「右ページの上部に書かれていた」といった記憶が成立するように、文章内容は書物という物理空間の中に配置される。内容の記憶と、その情報が存在していた空間的位置とが結びつくのである。 これに対し、電子書籍では媒体そのものと書籍の物理的形態が分離している。300ページの書籍を読んでも800ページの書籍を読んでも、読者が保持する端末の重量や厚みは基本的に変化しない。ページを進めても、手にしている物体の形状は変化しない。 すなわち電子書籍では、書物の内容は変化しても、身躰が接触している物体そのものは変化しない。 ここに、紙媒体と電子媒体における読書経験の重要な相違が存在する。 また、両者の差異は「空間の占有」という観点からも捉えることができる。 紙の書籍は物理空間を占有する。机に置けば机上の一部を占め、本棚に収納すれば一定の空間を占め続ける。読書を中断して書物を閉じても、その書物は視界の中に物体として存在し続ける。その表紙や背表紙が偶然視界に入ることによって、読者が過去に読んだ内容を想起したり、再読の契機が生じたりすることもある。 一方、電子書籍は、読書画面を閉じれば端末内部のデータとして不可視化される。数百冊、数千冊を所有していても、それらが生活空間を物理的に占有することはない。 したがって両者の特徴は、端的には次のように表現できる。 紙の本は、空間を占有する。 一般的には、これは紙媒体の欠点として理解される。大量の書籍を所有すれば保管空間が必要となり、蔵書量には物理的限界が生じるからである。 しかし、この物理的制約は必ずしも欠点としてのみ作用するわけではない。 むしろ、「空間を占有する」という性質そのものが、読者に対して書物を選別する契機を与えている可能性がある。 読了した書物を、その後も限られた生活空間の中に残すのか。それとも、その内容を理解した時点で手放すのか。紙の書籍を所有する者は、程度の差こそあれ、この判断を要求される。 読んだ。理解した。現在の自分には必要がなくなった。故に手放す。 それでもなお、限られた空間を与えてまで保持したい書物だけが残されていく。 このように考えれば、本棚とは必ずしも「過去に読んだ書物の集積」ではない。 むしろ、「現在においても、読者との関係が継続している書物の集合」として捉えることができる。 電子書籍の場合、この選別圧は相対的に弱い。数千冊を保存しても物理空間をほとんど必要としないため、「残すか、手放すか」という判断そのものが生じにくいからである。 この観点からすれば、やや逆説的ではあるが、電子書籍は「蓄積」に適し紙の書籍は「出会いと別れ」を生じさせる、と表現することも可能であろう。 そして、この問題は最終的に、「書物を所有すること」と「知を獲得すること」の区別へと行き着く。 本を所有することと、知を所有することは違う。 本棚に多数の書物が存在することは、それ自体、その所有者がそれらの内容を理解していることを意味しない。反対に、読了後に書物そのものを手放したとしても、そこで獲得された概念、知識、問い、思考様式が読者の内部に残っているのであれば、書物の物理的消失は知の消失を意味しない。 むしろ紙の書籍を手放すという行為は、この両者の差異を可視化する。 本は手元から消える。しかし、知は自分の中に残る。 この意味において、読書とは単なる情報摂取ではない。 それは、書物という外部に存在していたものを読み、理解し、思考し、自らの内部へと取り込んでいく過程でもある。 したがって、書物を手放すことは必ずしも「捨てること」と同義ではない。 それは場合によっては、本にあったものを、自分の中へ移すこと、と捉えることさえできる。 以上から、紙の書籍と電子書籍の差異を単純な優劣関係として論じることは適切ではない。 電子書籍には、携帯性、検索性、保存性、大量収蔵性という極めて大きな利点がある。一方、紙の書籍には、重量、厚み、ページ位置、触覚、操作、空間占有といった物理的条件があり、それらが読書という行為に身躰的・空間的経験を付与している。 したがって両者の本質的差異とは、単なる「紙かデジタルか」ではない。 同じ文字情報を、異なる身躰経験として読む二つの媒体なのである。 読書とは、文字を目で追うことだけではない。 紙の書物において人は、持ち、触れ、めくり、戻り、探し、置き、再び手に取る。そこには、情報処理だけでは捉えきれない身躰活動が存在している。 故に、紙媒体における読書を考えることは、最終的には、「知とは、頭脳だけによって獲得されるものなのか」という、より大きな問いへと接続していくのである。
身躰構造學研究所 研究論考No.001 著者 フィジカリストOuJi 【PDF版について】
本研究論考は、Web上で全文を公開するとともに、
PDF版では、研究論考としての体裁を整え、
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