要旨
身体の「柔らかさ」は、スポーツ、健康運動、リハビリテーション等において重要な身体特性として扱われている。その評価には、一般に関節可動域(range of motion: ROM)をはじめとする指標が用いられる。
しかし、ある関節が大きな範囲を運動できることと、その関節を含む身体構造が実際の動作中に適切に機能していることは、同一ではない。
例えば、十分な関節可動域を有していても、運動時に過剰な筋活動、代償的運動、特定部位への負荷集中等を伴う可能性はある。反対に、極端に大きな可動域をもたなくても、運動課題に応じて身体各部が協調的に運動し、必要な力を適切に発揮できる場合もある。
したがって、身体の「柔らかさ」を評価するためには、「どれほど大きく動けるか」という量的側面だけではなく、「その範囲をどのように動いているか」という運動の質的側面を区別して検討する必要がある。
本稿では、前者を主として関節可動域によって表される量的柔軟性として整理する一方、後者を捉えるための身体論的概念として「柔動性」を提案する。
さらに、関節が潜在的に「動ける範囲」と、実際の運動においてその関節・構成骨がどの程度機能的に参加しているかを区別するため、独自概念として「関節稼働率」を提示する。
これらを通して、身体の柔軟性を「大きく曲がる身体」から「柔らかく動ける身体」へと再定義する可能性を検討する。
キーワード: 関節可動域、柔軟性、柔動性、関節稼働率、運動制御、身体構造、脱力、協調運動、腰部
1.「身体が柔らかい」とは何を意味するのか
「身体が柔らかい」という表現は広く使用されている。しかし、その「柔らかさ」とは何を意味しているのだろうか。
大きく前屈できることなのか。開脚できることなのか。関節可動域が大きいことなのか。筋・腱などの組織が伸張しやすいことなのか。それとも、実際の運動が滑らかであることなのか。これらは関連し得る。しかし、同一ではない。
ここでまず、「柔らかい身体」と「柔らかい動き」を区別する必要がある。
2.「腰を柔らかくする」という言葉
腰部についても、「腰が硬い」「腰を柔らかくした方がよい」「腰回りをストレッチする」という表現が用いられる。
ストレッチングによって筋・腱を含む組織の伸張耐性や関節可動域が変化することはあり得る。したがって、目的や個人の状態に応じてストレッチングを行うこと自体を否定する必要はない。
しかし、腰部周囲のストレッチングによって可動域が拡大したことと、腰部を実際の運動の中で適切に使用できるようになったことは別問題である。
さらに、可動域が大きくなったことと、不要な筋活動や主観的な「力み」が減少したことも同義ではない。
3.柔軟性と脱力を同一視しない
非常に大きな可動域をもつ人物がいる。その人物は身体を大きく屈曲・伸展できる。しかし、その事実だけから、「脱力できている」と判断することはできない。
なぜなら、関節可動域と、筋活動の調節は異なる現象だからである。大きな可動域を有しながら、運動時には特定部位へ過剰な筋活動を生じさせることも理論上可能である。
したがって、よく曲がることと、力まず動けることは同じではない。ここを明確に区別する必要がある。
4.柔らかい身体でも傷害は起こり得る
同様に、柔軟性が高ければ傷害が起こらないとも言えない。
スポーツ傷害は単一要因によって生じるものではなく、運動負荷、反復量、組織耐性、競技特性、既往歴、運動制御その他の複数要因が関係し得る。
したがって、大きな関節可動域をもつ人物にも身体傷害は生じ得る。
ここから重要なことが分かる。
「動ける範囲が大きい」という一つの身体特性だけで、身体運動の質や傷害リスク全体を説明することはできない。
5.関節可動域とは何を測っているのか
関節可動域(range of motion: ROM)は、ある関節が特定方向へ運動可能な範囲を角度等によって表す指標である。
臨床・スポーツ・リハビリテーション領域において、ROMは重要な評価項目である。
例えば、何度屈曲できるのか。何度伸展できるのか。どの範囲まで外転できるのか。というように評価する。
つまりROMが主として扱っているのは、「どれほどの範囲を運動できるか」という運動範囲の問題である。
6.「How much」と「How」
ここで、身体の柔軟性を考えるための一つの概念的区別を導入する。
一つは、How much――どの程度動けるのか。もう一つは、How――どのように動いているのか。である。
これは英語学上の「much」の語義からROMを定義しようとするものではない。あくまで、量と様態を区別するための説明上の比喩である。
関節可動域は主として、どれほどの運動範囲があるかを表す。しかし実際の身体運動を理解するには、その範囲を、どのような身体運動によって実現したのかという別の問いが必要になる。
7.同じ関節可動域でも、同じ運動とは限らない
例えば二人の人物が、ある運動課題において同程度の関節角度へ到達したとする。
数値だけを見れば、両者のROMは同じである。しかし、その運動過程まで同じとは限らない。一人は比較的小さな代償運動によって到達した。もう一人は他部位の大きな運動を伴って到達した。筋活動の分布が異なる場合もある。速度が異なる場合もある。運動軌道が異なる場合もある。
つまり、同じ「結果角度」に到達していても、その角度へ至った身体運動の中身は異なり得る。ここに、ROMだけでは捉えきれない身体運動の問題が存在する。
8.「可動域」と「動質」を区別する
この違いを、可動域と、動質という二つの側面から考えることができる。
可動域は、どこまで動けるか。動質は、どのように動いたか。を問題とする。
ここでいう「動質」は、既存の単一の標準化された医学指標を指すものではなく、運動の様態を検討するための身体論的表現である。
例えば、運動軌道。速度。加速度。身体各部の協調。代償運動。筋活動の時空間的配分。など、運動の「中身」に関係する複数の変数が含まれ得る。
したがって、同じ可動域でも、動質は異なり得る。
9.「柔動性」という概念
ここで、本稿では新たに、柔動性という概念を提示する。柔動性とは、単に大きな可動域を有することではない。
本稿では、身体を構成する諸構造が、運動課題に応じて相互の関係を変化させながら、過剰な固定や不要な代償へ依存せずに運動へ参加できる性質を「柔動性」と呼ぶ。
これは一般的な「柔軟性」と区別するための独自概念である。
柔軟性が、どこまで動けるかという意味で用いられる場合に対して、柔動性は、どのように柔らかく動けるかを問題とする。
10.柔軟な身体と柔動的な身体
この区別によって、柔軟な身体と、柔動的な身体を分けて考えることができる。
柔軟な身体とは、大きな関節可動域を有する身体。柔動的な身体とは、身体構造間の関係を変化させながら、運動課題に応じて柔らかく運動できる身体。
もちろん、両者は排他的ではない。可動域が大きく、かつ柔動的であることも可能である。
しかし、可動域が大きいことから、柔動性が高いことが自動的に導かれるわけではない。この区別が重要である。
11.「静的な柔らかさ」から「動的な柔らかさ」へ
一般的な柔軟性評価では、身体を一定方向へ動かし、どこまで到達できるかを見る。これは重要である。
しかし日常生活やスポーツで必要なのは、単に大きな範囲へ身体を移動できることだけではない。
歩く。走る。振り返る。物を持つ。投げる。打つ。これらの運動の中で、身体各部が適切な時機に変化する必要がある。
したがって、身体の柔らかさには、「形としてどこまで変形できるか」だけでなく、「運動中にどれだけ柔らかく変化できるか」という側面がある。
これを本稿では柔動性として捉える。
12.「関節稼働率」という概念
さらに本稿では、関節稼働率という概念を提案する。これは既存の標準的な医学・運動学用語ではなく、身体構造研究のための独自概念である。
「可動」と「稼働」は同じではない。可動とは、動くことが可能であること。稼働とは、実際に働いていること。
したがって、関節可動域が、「どの範囲まで動くことが可能か」を主として表すのに対し、関節稼働率は、その関節を構成する身体構造が、実際の運動課題においてどの程度機能的に運動へ参加しているかを捉えるための概念として位置づける。
13.「率」と呼ぶためには測定法が必要である
ただし、ここは学術的に重要である。
「稼働率」という名称を使用する以上、本来は何らかの基準値と測定方法が必要になる。
例えば、何を100%とするのか。どの変数を測定するのか。骨運動なのか。関節運動なのか。代償運動なのか。筋活動なのか。複数指標の複合値なのか。を定義しなければ、厳密な意味での「率」として定量化することはできない。
したがって現段階では、「関節稼働率」は、身体運動を評価するために提出する理論概念であり、定量的評価尺度として確立するためには今後の操作的定義と測定法の構築が必要である。と位置づけるのが学術的に適切である。
これは弱点ではない。むしろ、新概念を研究対象として提示するために重要な区別である。
14.関節可動域と関節稼働率
両者の違いを最も簡潔に表現すれば、
関節可動域:どこまで動けるか。
関節稼働率:実際の運動で、その構造をどれだけ機能的に活用できているか。
となる。
例えば十分なROMをもっていても、実際の動作ではその運動範囲の一部しか利用していない可能性がある。
あるいは、目標角度には到達していても、他部位の運動によって補っている場合がある。
つまり、「動ける身体」と「実際にその構造が働いている身体」は同じではない。という問題である。
15.「関節活用度」「関節参加率」という表現
「関節稼働率」という語には、「可動域」と同じ「カドウ」という音をもつため、口頭指導では混同が生じる可能性がある。
そこで概念の目的によって、関節活用度、関節機能度、関節参加率、関節貢献度、関節動態度、関節使用度などの表現を用いることも考えられる。
ただし、これらは完全な同義語ではない。「参加」は運動への関与を強調する。「貢献」は運動結果への寄与を強調する。「機能」は正常性・機能性を強調する。
したがって学術的体系化を進める際には、中心概念を一つに定め、それぞれを必要に応じて下位概念として定義する方が望ましい。
16.腰部の柔軟性をどう考えるか
ここで腰部へ戻る。腰部について、どれだけ曲げられるか。どれだけ伸ばせるか。という可動範囲を見ることには意味がある。
しかし、本稿がさらに問うのは、その運動が、どのような身体構造の運動によって成立しているのか。である。
腰部を大きく動かせる。しかし、その運動が特定の部位へ集中しているのか。複数の構造が運動へ参加しているのか。他部位の運動によって補われているのか。過剰な筋活動を伴っているのか。これらは、最終的な到達角度だけでは十分に判別できない。
つまり、「腰がどれだけ動いたか」と、「腰部を構成する諸構造が、どのように動いたか」は別の問題である。
したがって腰部の柔軟性についても、可動範囲の大きさだけではなく、その運動を構成している身体構造間の関係を見る必要がある。
本稿でいう「腰部関節稼働率」は、この後者を捉えるための概念である。
17.「腰」という一語を解体する
そもそも、「腰を動かす」という表現そのものが包括的である。腰は一個の関節ではない。
また、「腰」という名称に対応する単一の運動器官が存在するわけでもない。
脊柱。骨盤。股関節周囲。筋・腱・靱帯。神経系。その他多数の構造が関係する。
したがって、「腰が柔らかい」という表現だけでは、何が柔らかいのか。どの構造が動いているのか。どの運動を「腰の運動」として評価しているのか。が明確ではない。
ここでも、包括語から具体的構造へ戻る必要がある。
18.「腰がよく曲がる」と「腰部構造がよく動く」
例えば、ある人物が大きく前屈できたとする。その結果だけを見れば、身体がよく曲がるとは言える。
しかし、その運動において、腰椎。骨盤。股関節。胸郭。下肢。などが、それぞれどの程度運動へ参加していたのかは別途検討しなければならない。
したがって、身体全体として大きな可動範囲を示したことと、評価対象とする個々の構造が十分に運動していたことは同義ではない。
この違いは、柔軟性評価を考えるうえで重要である。
19.「動いた結果」と「動いた過程」
関節可動域は、特定の運動における到達範囲を評価するために極めて有用である。
しかし身体運動には、結果だけでなく、過程がある。
どこから運動が始まったのか。どの構造が先に動いたのか。どの構造が後から参加したのか。どの部位がほとんど動かなかったのか。どこで代償が生じたのか。どのような筋活動が伴ったのか。これらは、最終的な角度だけでは表現できない。
したがって、柔軟性を「到達できる範囲」だけでなく、「そこへ至る運動過程」からも捉える必要がある。
ここに柔動性という概念を置く意味がある。
20.「構造通りに動く」とは何を意味するのか
ここで、本稿で用いている、「構造通りに動く」という表現も明確にしておく必要がある。
この言葉を、「人体には唯一の正しい運動軌道が存在する」という意味で使用するわけではない。身体運動は課題・環境・速度・外力等によって変化する。
したがって、「構造通り」を一つの固定されたフォームとして定義することはできない。
本稿では、身体を構成する各構造が、その解剖学的条件および他構造との関係を保ちながら、運動課題に応じて機能的に運動へ参加している状態という意味で用いる。
したがって、「構造通り」とは外見上の一つの形ではなく、構造間関係の問題として扱われる。
21.「関節稼働率」は関節だけの問題ではない
ここでさらに注意が必要である。関節稼働率という名称を用いているが、実際の身体運動は一つの関節だけで完結しない。
一つの関節が運動する。隣接する身体構造との位置関係が変化する。その変化によって、さらに別の関節の運動条件も変化する。
したがって、一関節の稼働状態は、全身の運動条件から完全には切り離せない。
この意味で関節稼働率とは、単純に一つの関節が「何%働いたか」を示すものではなく、その関節を構成する構造が、全身運動の中でどのように参加しているかを評価しようとする概念として位置づける必要がある。
22.可動域が正常でも、運動は同じではない
二人の人物が同じ関節可動域を示しているとする。
しかし、一人は目的とする関節運動を比較的独立して遂行している。もう一人は、別の身体部位を大きく動かすことで同じ課題を達成している。
最終的な測定値が同じであっても、身体全体で起きている運動は同じではない。
したがって、正常可動域をもつことと、その関節が実際の身体運動の中で十分に機能していることは区別されなければならない。
ここに、「可動」と「稼働」を分ける理論的意味がある。
23.「代償」は常に悪いのか
ただし、「代償運動」という言葉にも注意が必要である。
身体は多くの自由度をもち、課題を達成するために複数の運動方法を選択する。
したがって、別の身体部位が参加した=悪い代償とは限らない。むしろ全身運動では、複数部位が協調することが必要になる。
問題なのは、他部位が動いたかどうかではなく、本来評価しようとしている構造の運動がどの程度生じ、その上で他の構造がどのような関係を形成したのかである。
したがって関節稼働率を考える際には、「局所だけを動かすこと」を理想として設定してはならない。
24.柔動性は「部分を単独で動かす能力」ではない
同様に、柔動性も、一個の骨を完全に孤立して動かす能力を意味するものではない。生体内の骨は他の骨と関節し、筋・靱帯・神経系などと関係している。
したがって完全な孤立運動を前提にすること自体が適切ではない。
柔動性で重要なのは、個々の構造が識別可能な運動をもちながら、それらが全身運動の中で関係的に組織化されることである。
つまり、分化と、統合の両方が必要になる。
25.「柔らかく動く」とは、力がないことではない
柔動性という言葉から、筋力を使わない。力を発揮しない。身体を常に緩める。という状態を想像するかもしれない。
しかし、それは本稿の意味するところではない。運動には筋活動が必要である。姿勢保持にも筋活動が関与する。大きな外力へ対応する場合には、高い筋活動が必要になることもある。
したがって、柔らかく動くことと、力を発揮しないことは同じではない。
問題なのは力の有無ではなく、必要な力を、必要な場所・方向・強度・時機に発揮できるかである。
26.脱力とは「筋活動ゼロ」ではない
ここで脱力との関係を考える。
脱力を、筋活動をゼロにすることと定義することはできない。
人間が立ち、歩き、運動するためには筋活動が必要だからである。
したがって脱力を身体運動の中で考えるなら、課題遂行に必要のない過剰な筋活動を持続させず、必要な筋活動を適切に変化させられる状態として捉える方が適切である。
この意味では、脱力とは静止した「緩んだ状態」ではなく、筋活動を柔軟に変化させられる能力とも関係する。
27.関節可動域と脱力は同一ではない
ここまで整理すれば、関節可動域が大きい=脱力できているとは言えない理由が明確になる。
ROMは主として運動範囲を表す。脱力は筋活動の調節や運動制御に関係する。両者は関連する可能性はあるが、同一の変数ではない。
したがって、関節可動域と脱力が単純に比例すると仮定することはできない。
大きく曲がる身体と、力まず動く身体は、概念的に区別されなければならない。
28.関節稼働率と脱力の関係は「仮説」である
では、本稿で提案する「関節稼働率」と脱力には、どのような関係があるのか。
身体構造が運動へ適切に参加し、特定部位だけで課題を遂行する必要が減少すれば、一部の筋へ過剰な活動が集中する必要性も低下する可能性がある。
この観点から、関節稼働率が高まることで、不要な筋活動が減少し、結果として脱力しやすくなるという仮説を設定することができる。
ただし、これは現段階では理論的仮説である。
学術的概念として確立するためには、関節稼働率の操作的定義とともに、筋電図等を用いた筋活動、運動学的指標、主観的努力感などとの関連を検証する必要がある。
この区別は明確にしておかなければならない。
29.脱力と力発揮は反対ではない
一般には、力を抜く。力を出す。という二つは反対の状態として考えられやすい。
しかし実際の身体運動では、両者は必ずしも対立しない。
高度な運動では、ある筋活動が高まる一方で、別の筋活動が低下する。ある瞬間に大きな力を発揮し、直後に活動を解除する。という時間的変化が起きる。
したがって、高い力発揮能力と、不要な筋活動を減少させる能力は共存し得る。むしろ、運動課題によっては両者の切り替えが重要になる。
30.「力を出す筋肉」だけを増やせばよいのか
力発揮を考える時、どの筋が強いか。どれだけ大きな筋力を発揮できるか。という視点は重要である。しかし、全身運動では複数の筋・関節・身体部位が関与する。
したがって、一つの筋の最大筋力と、全身として生じる運動出力を同一視することはできない。同じ筋力をもつ二人でも、身体各部の協調や力学的条件が異なれば、運動結果が異なる可能性がある。
ここから、単一部位の力と、全身的に組織化された力発揮を区別する必要が生じる。
31.「単力」という概念
本稿では、この違いを説明するために、単力という概念を提示する。
ここでいう単力とは、特定の筋、筋群、あるいは限定された身体部位の力発揮へ相対的に大きく依存して成立する運動出力を指す。
これは既存の標準的な生理学用語ではなく、身体運動を分析するための独自概念である。
単力そのものを否定するものではない。特定の課題では、局所的に高い筋力を発揮することが必要になる。
問題は、単力だけを身体の「力」のすべてとして理解しないことである。
32.「総和力」という概念
これに対して、本稿では、総和力という概念を提示する。
総和力とは、複数の身体構造・関節・筋群が時間的・空間的に協調し、さらに外力との相互作用を含めて形成される全身的な運動出力を指す。
ここで重要なのは、単純に、筋Aの力+筋Bの力+筋Cの力という算術的総和を意味しているのではないことである。
身体各部の位置関係。運動方向。タイミング。関節角度。運動速度。重力。床反力。対象物から受ける力。これらによって、全身として生じる運動結果は変化する。
したがって、総和力とは「筋力の足し算」ではなく、複数の力発揮と身体構造間の関係が一つの運動へ組織化された状態として定義する方が適切である。
33.「全身の筋肉を使う」ことと総和力は同じではない
ここでも注意が必要である。
全身の筋肉を強く収縮させれば総和力になるわけではない。全身を同時に硬くすれば、むしろ運動が制限される場合もある。
総和力で重要なのは、活動する筋の数ではない。複数の身体構造が、運動課題に対してどのように協調しているかである。
したがって、全身収縮=総和力ではない。総和力は、全身的な協調的出力の問題として捉える必要がある。
34.負荷分散という可能性
複数の身体部位が運動へ参加すれば、一つの部位だけに課題を集中させる場合と比較して、局所的負荷が分散される可能性がある。
この意味では、総和力という考え方には、出力の増大だけでなく、局所負荷の分散という側面を想定できる。
ただし、「総和力なら傷害が起こらない」と断言することはできない。傷害は負荷量、組織耐性、反復頻度、競技条件その他多数の要因によって生じるからである。
したがって、学術的には、全身的な協調によって局所負荷が分散される可能性があるという範囲で論じるのが適切である。
35.「疲れにくさ」についても同様である
元来の身体実践では、全身を使えば疲れにくい。局所で頑張れば疲れやすい。という経験的表現が存在する。これについても、単純な一般則として断定することには慎重さが必要である。
疲労は、運動強度、運動時間、筋活動、エネルギー代謝、心肺機能、睡眠、心理状態など、多数の条件によって変化する。
したがって、局所的な筋活動=必ず疲れやすい、全身運動=必ず疲れにくいという単純な対応関係を設定することはできない。
しかし、ある運動課題を限定された筋群へ過度に依存して遂行する場合、その筋群に要求される相対的負荷が大きくなる可能性はある。
反対に、複数の身体部位が適切に運動へ参加することで、一部位へ要求される仕事量や筋活動を変化させられる可能性がある。
したがって、「疲れにくさ」を考える際にも、単純な筋力の大小だけではなく、運動負荷が身体全体へどのように配分されているかを見る必要がある。
36.「負荷を分散する」とは何か
「負荷を分散する」という表現も、学術的には具体化する必要がある。
何の負荷なのか。関節モーメントなのか。筋活動なのか。局所組織への機械的ストレスなのか。代謝的負荷なのか。これらは異なる。
したがって、「総和力によって負荷が分散される」という仮説を検証するのであれば、どの力学的・生理学的変数が、どの身体部位間で変化したのかを測定する必要がある。
ここでも、身体全体を使うという感覚的表現を、具体的な測定変数へ翻訳することが今後の研究課題となる。
37.腰部に負荷を集中させないという問題
腰部について考える場合も同様である。腰部で大きな運動や力発揮を行うこと自体が問題なのではない。腰部には腰部としての運動機能がある。
問題となるのは、本来複数の身体構造によって遂行可能な課題を、特定の腰部構造へ過度に集中させていないかという点である。
例えば全身運動であるにもかかわらず、身体の他部位が十分に運動へ参加せず、特定の部位へ大きな力学的要求が集中するのであれば、その運動戦略について検討する余地がある。
したがって、腰を守ることと、腰を動かさないことは同じではない。
むしろ、腰部を含めた身体各部が、課題に応じてどのように運動へ参加しているのかを見る必要がある。
38.「腰を固める」ことと「腰を守る」こと
腰痛予防や重量物挙上などの文脈では、腰部周囲の筋活動を高め、体幹剛性を調節することが必要となる場面がある。
したがって、腰部を固めることはすべて悪いという主張も適切ではない。
重要なのは、いつ、どの程度の剛性が必要なのかである。
身体は常に同じ剛性を必要としているわけではない。高い剛性が必要な瞬間もあれば、大きな運動性が必要な瞬間もある。
したがって、身体機能の高さとは、常に柔らかいことでも、常に固いことでもなく、課題に応じて剛性と運動性を変化させられることにある。
この視点は、本稿でいう柔動性とも深く関係する。
39.柔動性は「グニャグニャ」であることではない
ここで改めて強調しておきたい。
柔動性が高い身体=グニャグニャに動く身体ではない。必要な時には止める。必要な時には支える。必要な時には大きな力を発揮する。そして、必要がなくなれば解除する。
つまり柔動性とは、身体が柔らかい状態を維持する能力ではなく、運動課題に応じて身体構造間の関係と筋活動を柔軟に変化させられる性質として捉えるべきである。
したがって、柔動性には、動けることだけでなく、止まれることも含まれ得る。
40.「柔らかさ」を状態から能力へ
一般的な「柔らかさ」は、この人は身体が柔らかい。この関節は柔らかい。というように、身体がもつ一つの状態・特性として表現される。
しかし、柔動性という観点では、柔らかさを固定的な状態ではなく、変化能力として捉える。
大きく動ける。小さく動ける。速く動ける。ゆっくり動ける。止められる。力を発揮できる。解除できる。
つまり、柔動性とは、「柔らかい身体」であることよりも、「柔らかく変化できる身体」であることを問題とする。
41.「関節稼働率」が高いとは何を意味するのか
ここまでの議論から、本稿でいう「関節稼働率が高い」という状態を、もう少し具体化できる。
それは単純に、関節が大きく動いていることではない。また、常に最大可動域まで動いていることでもない。
むしろ、その運動課題に必要な範囲において、関節を構成する構造が機能的に運動へ参加し、他構造との関係の中でその役割を果たしていることを意味する。
したがって、小さな運動でも関節稼働率が高い場合はあり得る。反対に、大きな運動をしていても、評価対象となる構造の参加が小さい場合も理論上考えられる。
42.「100%動く」とは何を意味するのか
この点から、「関節稼働率100%」という表現にも慎重さが必要である。
最大可動域まで動いたから100%なのか。全構成骨が運動したから100%なのか。筋活動が理想的だったから100%なのか。これらは別問題である。
したがって現段階では、関節稼働率を単純な百分率として使用するよりも、理論概念として扱う方が適切である。
今後、定量化するのであれば、運動課題。構成骨の相対運動。関節運動。代償的運動。筋活動。運動速度。等をどのように統合するかについて操作的定義が必要になる。
43.関節稼働率は「正常/異常」の二分法ではない
同様に、稼働率が高い=正常。稼働率が低い=異常。と単純に分類することも適切ではない。
身体は課題に応じて運動戦略を変える。ある関節をあえてほとんど動かさないことが必要な課題も存在する。
したがって、関節稼働率は、その関節が常に大きく働くべきだという概念ではなく、課題に対して必要な構造が必要な形で参加できているかを問う概念である。
この点は、「可動域が大きいほど良い」という単純な評価から離れるためにも重要である。
44.柔動性と関節稼働率の関係
ここで二つの独自概念を整理する。
柔動性は、身体全体あるいは身体領域が、運動課題に応じて構造間関係を柔軟に変化させられる性質を表す。
一方、関節稼働率は、特定の関節・構成構造が、実際の運動においてどの程度機能的に参加しているかを捉える。
したがって、柔動性はより全体的・動的な性質を、関節稼働率はより局所的・機能的な参加状態を、それぞれ記述するための概念として区別できる。
45.柔動性と脱力の関係
柔動性が高い身体では、身体各部が運動課題へ応じて関係を変化させられる。その結果として、一部位を過度に固定する必要性が低下する可能性がある。
ここから、柔動性の向上によって、不要な筋活動が減少し得るという仮説が成立する。
つまり、柔動性→身体構造間の運動分担の変化→局所的な過剰筋活動の減少→主観的・客観的な脱力状態の変化という仮説モデルである。
ただし、この因果系列については実証的検証が必要である。
46.脱力から力発揮へ
一見すると、脱力と、力発揮は逆方向の概念に見える。
しかし、運動では筋活動を適切に増減させる能力が重要になる。必要な瞬間には活動を高める。必要がなくなれば低下させる。
したがって、力を抜けることは、力を出せないことではない。むしろ、不要な筋活動を持続させないことで、次に必要となる筋活動を変化させやすくなる可能性がある。
ここに、脱力と力発揮を対立させない身体観が成立する。
47.「今、脱力している筋だけが大きな力を出せる」のか
元の身体論では、「今、脱力している筋肉だけが大きな力を発揮できる」という表現が用いられていた。
これは実践的な感覚を表す言葉としては理解できるが、学術的にはそのまま一般則として断定することはできない。
より慎重には、高い運動出力を繰り返し発揮するためには、筋活動を必要に応じて増加・低下させる時間的調節能力が重要となり得ると表現できる。
重要なのは、常に力を入れていることでも、常に力を抜いていることでもない。変えられることである。
48.パワーとは筋力だけではない
ここで「パワー」という言葉についても整理する必要がある。
力学的なpowerは、仕事率、すなわち単位時間あたりの仕事として定義される。
一方、身体実践では「パワー」が、力強さ。爆発的な出力。全身から生じる大きな力。など、より広い意味で使用される。
したがって、本稿で「単力」「総和力」を論じる際には、厳密な物理学的powerと、実践語としての「パワー」を混同しないことが重要である。
49.単力と総和力は二者択一ではない
単力と総和力も、どちらか一方だけを選ぶ概念ではない。全身運動においても、個々の筋は力を発揮する。
したがって総和力は、単力を否定する概念ではない。
むしろ、個々の力発揮が、全身運動の中でどのように関係づけられているかを見るための概念である。
単力は部分の力を見る。総和力は、部分の力が関係することで生じる全体的出力を見る。この意味で両者は、部分と全体という異なる分析尺度を表している。
50.総和力は「全部の筋力を足した力」ではない
この点は特に重要である。総和力を、全身の筋力を全部足した巨大な力と理解してはならない。
実際の運動出力は、力の方向。作用点。関節角度。タイミング。運動速度。外力。身体各部の相対運動。によって変化する。
したがって、総和力とは、筋力の算術的総和ではなく、複数の身体構造と力発揮が一つの運動課題へ組織化された結果として現れる全身的出力である。と定義する必要がある。
51.総和力と「関係論的身体観」
この総和力という概念は、身体を部分の集合としてのみ捉えない身体観とも接続する。
一個の筋を見る。一個の関節を見る。一個の骨を見る。これは重要である。しかし、実際の運動では、それらが関係する。
したがって、全身的な力発揮を理解するためには、各部分の能力だけでなく、部分間の関係を見る必要がある。
総和力とは、この関係的な力発揮を捉えるための概念として位置づけることができる。
52.腰部は「力を出す場所」なのか
腰部は、身体中央部に位置し、上半身と下半身の運動に関係する。しかし、腰だけが身体の力を生み出す中心であると単純化することはできない。
全身運動では、下肢、骨盤、脊柱、胸郭、上肢、床との相互作用など、多数の条件が関係する。
したがって、「腰から力を出す」という実践的表現を学術的に扱う場合には、腰部を含む身体構造が、全身的な力発揮にどのように参加しているのかという問いへ翻訳する必要がある。
53.腰部の柔動性と全身的力発揮
ここで、本稿の議論が一つに繋がる。
腰部が大きく曲がる。それだけではない。腰部を構成する構造が運動へ参加する。他の身体構造との関係を変化させる。必要な筋活動を行う。不要になれば活動を低下させる。そして全身運動へ参加する。
このような状態を考えるならば、腰部の柔動性は単なる柔軟性とは異なる身体特性として位置づけられる。
さらに、腰部関節稼働率は、その柔動性を構成する一つの局所的要素として仮説的に位置づけることができる。
54.「柔腰」という概念
元の身体論では、柔腰という言葉が用いられている。
この言葉を学術的に整理するならば、単に腰部のROMが大きい状態ではなく、腰部を構成する諸構造が、全身運動の中で必要に応じて関係を変化させ、剛性と運動性を調節できる身体特性として定義することが考えられる。
つまり、柔腰=腰が柔らかいではない。より正確には、腰が柔らかく働けるという意味である。
55.「柔腰」と「柔動性」
この関係を整理すると、柔動性は身体全体へ適用可能な上位概念であり、柔腰は、その柔動性が腰部において成立している状態を表す下位概念として位置づけることができる。
すなわち、柔動性とは、身体構造が運動課題に応じて関係を変化させながら、必要な運動を柔軟に形成できる性質である。
そして柔腰とは、腰部を構成する諸構造が、全身との関係を保ちながら、運動課題に応じて運動性と剛性を変化させられる状態である。と定義できる。
したがって柔腰は、腰が大きく曲がることでも、腰部の筋が常に緩んでいることでもない。
重要なのは、必要に応じて変化できることである。
56.「柔らかい腰」から「柔らかく働く腰」へ
従来の柔軟性という観点では、腰がどれほど曲がるか。どれほど伸びるか。という運動範囲が注目されやすい。
しかし柔腰という概念では、腰がどれほど柔らかく「働けるか」を問題とする。必要なら動く。必要なら支える。必要なら剛性を高める。必要がなくなれば、その剛性を低下させる。そして全身運動の中で他の身体構造との関係を変化させる。
つまり、柔腰とは「柔らかい腰」という静的状態ではなく、「柔らかく働ける腰」という動的能力である。
ここに、柔軟性と柔動性の根本的な違いがある。
57.「柔らかい」と「弱い」を区別する
身体が柔らかいという言葉には、時に、力がない。支持できない。安定しない。という印象が伴う。しかし、本稿でいう柔動性は、この意味での「弱さ」を意味しない。
運動課題によっては、高い剛性が必要になる。大きな筋力発揮が必要になる。外力へ強く応答する必要もある。
したがって、柔動性の反対は筋力ではない。柔らかく動けることと、大きな力を発揮できることは共存し得る。
むしろ、柔動性とは、柔らかさと強さのいずれか一方へ固定されない身体能力として捉えることができる。
58.「柔」とは、力がないことではない
この意味で「柔」という語も再検討できる。
柔とは、単に軟らかいこと。抵抗しないこと。力を抜いていること。だけではない。
身体運動における「柔」を、変化への応答可能性として捉えることができる。
外力が変わる。身体が変わる。速度が変わる。課題が変わる。それに応じて身体状態を変化させられる。
したがって、柔とは、弱さではなく、変化できることにある。という身体論的解釈が可能になる。
59.「柔軟性」から「柔動性」へ
ここまでの議論から、柔軟性と、柔動性の違いが明確になる。
柔軟性は、一般に身体組織や関節が一定範囲へ動く能力に関係する。
柔動性は、本稿において、実際の運動の中で身体構造間の関係を変化させられる性質として提案する。
したがって、柔軟性=可動可能性に対して、柔動性=運動可能性という区別を設定することができる。
ただし、両者は対立しない。一定の可動域は運動可能性を支える条件の一つとなり得る。
重要なのは、可動域を獲得することを、柔らかく動けることの完成とみなさないことである。
60.「持っている可動域」と「使っている可動域」
ここから、もう一つの区別が可能になる。
身体が、持っている可動域と、実際の運動で、使っている可動域である。
臨床的な測定では十分なROMを有していても、日常動作やスポーツ動作ではその範囲をほとんど利用しない場合がある。
反対に、運動課題によっては最大可動域を必要としない。
したがって、可動域を所有していることと、その可動域を運動として利用できることは同じではない。
この違いを考えるためにも、関節稼働率という概念が意味をもつ。
61.「使っている量」だけでも足りない
ただし、「可動域の何%を使用したか」だけで関節稼働率を定義することも不十分である。
例えば最大ROMが100度で、ある運動で50度動いたから、稼働率50%と単純に定義するならば、それはROM使用率に近い概念となる。
本稿で問題としているのは、それだけではない。その50度が、どの構造の運動によって成立したのか。どのような軌道を通ったのか。他構造との関係はどう変化したのか。過剰な固定を必要としたのか。という運動の質も含まれる。
したがって、関節稼働率は、単なる「可動域使用率」とは区別されなければならない。
62.「率」よりも「度」が適切である可能性
この点を厳密に考えると、関節稼働率という名称そのものにも再検討の余地がある。
「率」は通常、ある基準に対する割合を意味する。
しかし、本稿が評価しようとしているものには、運動範囲。構成骨の相対運動。運動軌道。筋活動。他部位との協調。課題への適合性。など、複数の質的・量的変数が含まれる。
そのため、定量的百分率として確立する以前の段階では、関節活用度あるいは、関節機能参加度のように「度」を用いる方が、概念上適切である可能性もある。
これは今後の用語体系化における検討課題である。
63.それでも「関節稼働率」が示す重要な問い
名称について検討の余地があったとしても、「関節稼働率」という概念が提示する問い自体は重要である。
それは、「この関節は、どこまで動けるか」ではなく、「この運動の中で、この関節を構成する構造は実際にどのように働いているのか」という問いである。
これは評価の対象を、能力としての可動性から、実際の行為における機能へ移す。
ここに、関節可動域とは異なる研究対象が成立する。
64.「関節」という一語にも注意が必要である
さらに厳密には、「関節が働く」という表現そのものも便宜的である。
関節という一個の主体が能動的に働いているわけではない。関節を構成する複数の骨がある。関節面がある。関節包や靱帯がある。筋・腱が関係する。
したがって、関節稼働率という名称を使用する場合にも、その内部では、関節を構成する諸構造の相対的運動と機能的関係を問題としていることを明示する必要がある。
65.「骨が構造通りに動く」という仮説
元の身体論では、関節稼働率は、骨が構造通りに動くことで決まると表現されていた。
これを学術的に整理するならば、関節を構成する骨の相対運動が、解剖学的構造および運動課題に適合した形で生じることが、関節の機能的参加を規定する重要な条件の一つであるという仮説として表現できる。ただし、「構造通り」の操作的定義が必要である。
したがって今後は、どの骨の、どの運動を、どの基準座標系で、どのように測定し、何をもって「構造に適合した」と判断するのか、を明確化する必要がある。
66.柔動性を測定できるのか
同様に、柔動性を学術概念として確立するためには測定法が必要になる。
単一の数値だけで評価することは難しい可能性がある。
例えば、関節運動。構成骨の相対運動。運動軌道。速度変化。筋活動。代償的運動。運動課題への適応。など、複数の指標を組み合わせる必要があるかもしれない。
したがって柔動性は現段階では、既存のROMだけでは捉えきれない「動的な柔らかさ」を研究対象として明確化するための理論概念として位置づけることができる。
67.新しい言葉をつくる意味
既存の科学用語で十分に説明できるのであれば、新しい言葉をつくる必要はない。
しかし、可動域が大きいことと、実際の運動が柔らかいことを区別したいにもかかわらず、両者を同じ「柔軟性」という言葉だけで表現すると、概念上の混乱が生じる。
そこで、柔動性という新たな名称を与える。
同様に、動ける範囲と、実際の運動における機能的参加を区別するために、関節稼働率という名称を与える。
つまり、新語をつくる目的は、新しい現象を創造することではなく、既存の言葉では区別されていなかった現象を区別可能にすることにある。
68.名前をつければ概念が成立するわけではない
ただし、新しい名称を与えただけで科学概念が成立するわけではない。
概念には、定義。対象。境界。既存概念との差異。測定方法。再現性。妥当性。が必要になる。
したがって、柔動性、関節稼働率、単力、総和力といった概念についても、今後これらを明確化する必要がある。
この意味で本稿は、完成された測定理論を提示するものではなく、身体運動を従来とは異なる角度から観察するための概念枠組みを提示する試論として位置づけられる。
69.既存概念を否定するための新概念ではない
ここも重要である。
柔動性という概念は、柔軟性は不要であると主張するためのものではない。
関節稼働率という概念も、関節可動域は意味がないと主張するものではない。
ROMは重要である。柔軟性評価も重要である。しかし、それだけでは身体運動のすべてを記述できない。
したがって、既存概念を捨てるのではなく、その概念が測定している範囲と、測定していない範囲を明確にする。
その上で、後者を研究するための概念を追加する。これが本稿の立場である。
70.「How much」を捨てずに「How」を加える
したがって、本稿の主張は、How muchではなくHowであるという二者択一ではない。どちらも必要である。
どれだけ動けるのか。そして、どのように動いているのか。
つまり、How much + Howである。
ROMによって運動範囲を見る。そして、柔動性・関節稼働率という視点から運動過程を見る。量と質の両方を見る。
この統合によって、身体の「柔らかさ」をより多面的に研究できる可能性がある。
71.腰部について何を見るべきか
腰部へ戻れば、どれだけ前屈できるか。どれだけ伸展できるか。という評価だけではなく、その運動が、どの構造から生じたのか。各構造がどのような関係で動いたのか。どこへ筋活動が集中したのか。必要に応じて剛性を変化させられたのか。全身運動の中で腰部がどのように参加したのか。を見る。
つまり、「腰が柔らかいか」ではなく、「腰はどのように柔らかく働いているか」を問う。のである。
72.ストレッチングの位置づけ
ここまでの議論は、ストレッチングを否定するものではない。
ストレッチングには、目的や方法によって関節可動域や伸張耐性等へ影響を与える可能性がある。
したがって、可動域が課題となっている人物にとって有用な場合もある。
しかし、ストレッチングによってROMを変化させることと、実際の運動における柔動性を変化させることは、同じ介入目標ではない。という区別が必要である。
可動域が必要なら可動域へ介入する。運動の質が問題なら運動へ介入する。両者を混同しないことで、介入目的も明確になる。
73.「柔らかくする」の前に、何を変えたいのか
身体が硬い。だからストレッチする。という論理の前に、何が硬いのか。を問う必要がある。ROMが小さいのか。筋の伸張感が強いのか。運動がぎこちないのか。特定部位を固定しているのか。動作中に過剰な筋活動があるのか。これらは異なる。
したがって、「硬い」という一語を解体し、何を変えようとしているのかを明確にすることが必要である。これは本稿全体の議論にも通じる。
74.「柔らかさ」は一つではない
以上から、身体の「柔らかさ」には少なくとも複数の側面がある。
運動範囲としての柔らかさ。組織の伸張に関する柔らかさ。主観的に感じる柔らかさ。運動中の筋活動調節としての柔らかさ。構造間関係を変化させられる柔らかさ。これらを一つの「柔軟性」という語へまとめると、何を論じているのか分からなくなる。
そこで、身体の柔らかさを単一尺度ではなく、多次元的な身体特性として捉える。という視点が必要になる。
結論――柔軟性から、柔動性へ
身体の「柔らかさ」は、関節がどこまで動くことができるかという運動範囲だけでは捉えきれない。
関節可動域(ROM)は、身体機能を評価するうえで重要な指標であり、本稿はその意義を否定するものではない。しかし、「どこまで動けるか」と「どのように動けるか」は、同一の問題ではない。
同じ関節可動域を有する二者であっても、その運動を構成する骨の相対運動、運動軌道、速度、筋活動、他部位との協調、課題への適応は異なり得る。
したがって、身体の柔らかさを理解するためには、How much――どの程度動けるのかだけではなく、How――どのように動けるのかを併せて見る必要がある。
すなわち、How muchからHowへ移行するのではない。How much + Howである。
この区別を明確にするため、本稿では「柔動性」という概念を提出した。
柔動性とは、単に大きな関節可動域を有することではない。身体を構成する諸構造が、運動課題に応じて相互の関係を変化させながら、必要な運動を形成できる性質を指す。
したがって、柔動性の本質は「柔らかい状態」にあるのではない。変化できることにある。必要なら動く。必要なら止まる。
必要なら剛性を高める。必要がなくなれば解除する。必要な瞬間には力を発揮し、その力が不要になれば次の状態へ移行する。
この意味において、柔動性は「グニャグニャした身体」や「常に脱力した身体」を意味しない。
むしろ、運動性と剛性、脱力と力発揮の間を、課題に応じて変化できる身体特性として位置づけられる。
腰部にこの概念を適用したものが、本稿でいう「柔腰」である。
柔腰とは、よく曲がる腰ではない。柔らかく働ける腰である。
また本稿では、「可動」と「稼働」を区別するため、「関節稼働率」という概念を提示した。
関節可動域が、その関節が「どこまで動けるか」を主として問うのに対し、関節稼働率は、関節を構成する諸構造が、実際の運動課題の中でどのように機能的に参加しているかを問う。
端的に言えば、関節可動域は「動ける」を見る。関節稼働率は「働ける」を見る。
ただし、関節稼働率は現段階では理論概念であり、厳密な「率」として成立させるためには、今後、操作的定義および測定方法を構築する必要がある。
同様に、「柔動性」「柔腰」「単力」「総和力」についても、その名称を提示することが研究の終点ではない。
新しい概念は、答えではない。新しい問いを立てるための「ものさし」である。
柔動性とは何か。どのように測定できるのか。関節可動域とはどのような関係にあるのか。
筋活動、運動軌道、構成骨の相対運動、競技能力、疼痛、傷害等とどのような関係をもつのか。
これらは今後、実証的に検討されなければならない。
しかし少なくとも、本稿によって一つの問いを明確にすることはできる。
「身体が柔らかい」とは、本当に、よく曲がることだけなのか。
身体を見るとき、最大値だけを見るのではない。どれだけ動けるかを見る。
そして、その身体が、その範囲の中でどのように動いているのかを見る。大きく動けるか。小さく動けるか。止まれるか。支えられるか。力を発揮できるか。解除できるか。
そして、次の運動へ移ることができるか。
評価するものを「最大可動範囲」から「選択可能な身体状態」へ広げたとき、身体の柔らかさは、単なる量ではなく、運動そのものの問題として現れてくる。
故に、本稿が提出する身体観は、「柔らかい身体」から、「柔らかく動ける身体」へ。
そしてさらに、「大きく動ける身体」から、「自由に変化できる身体」へ。という転換である。
その身体の性質を、本稿では、「柔動性」と呼ぶ。
身躰構造學研究所
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