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2025/11/19

守破離の真実

日本文化に刻まれた大切な教えが、

いま誤って傳えられている。

それを正すことこそ、

私の使命であり、王子としての責務である。

 

その象徴が、「守破離」である。

 

本来の意味は連綿と

受け継がれてきたにもかかわらず、

 

現代ではまるで別物へと

書き換えられた解釈

常識となってしまった。

 

「守破離」という語はしばしば、

“型を破り、離れて、自己流をつくる”

と解説される。

 

しかし、この解釈は

歴史資料のどこにも存在しない

 

守破離とは、人が成長する順序を説いた、

身体文化の科学である。

 

観阿弥・世阿弥の教えにも、

利休道歌にも、

茶道の大家・川上不白の書にも、

そのような意味を示す文言は

一つとして見いだせない

 

本ページでは、

守破離という語の起源・

思想構造・史料をすべて提示し、

 

誤解の発生源と、

守破離の真実を明らかにする。

 

守破離の真意

守破離という教えがあります。

 

一般には、

 

「最初は師の教えを忠実に守り、

次にその型を破って自分なりに工夫し、

最後は完全に離れてオリジナルをつくる」

 

と解説されています。

 

いわゆる

「型を守る→破る→離れる」という

単純な三段階モデルとして

理解されがちですが、

 

実は、守破離の真意は全く違います

 

◆ 守破離とは、“上達のプロセス”

  そのものを説いた教えである

 

守とは、教え・型を忠実に、

そして徹底的に守り抜き、

型の中に沈み込むほどに身を預ける段階

 

この「守り切る」稽古を続けることで、

やがて自分の癖という“殻”が破れる

瞬間が訪れる。それがです。

 

殻が破れるからこそ、自分自身を

少し外側から客観的に観る事が

出来る様になる

 

それが進むと離れた所から

自分を観られるようになり

型の事を能動的に考えなくても

自然と出来てしまう状態になる。

無意識に技が現れる状態になる

 

その境地がです。

 

つまり、離とは無意識有能の事

 

 

◆ 守・破・離と神経系統の変化

 

とは、

有意識無能→有意識有能

を通過する段階。

 

破から離にかけては、それが

無意識有能へと書き換わっていく段階です

 

言い換えれば、

細胞から神経系統に至るまで

総入れ替え(書き換え)が起こる工程

こそが守破離なのです。

 

 

◆ 守破離は三段階ではない。円環である。

 

しかも、

 

この守破離は単に三段階で

終わりなのではなく

 

離から再び守へと到るという

円環構造をなします。

 

つまり、守破離は

「終わったら離れる道」ではなく、

「離から再び守へ戻る円環構造」である

という事。

 

型稽古が離の境地に至った瞬間、

全く新しい課題が姿を現し、再び

 

思う通りに動けない、

意識してもなかなか出来ない

有意識無能状態と、

 

意識しないと動けない、

意識しないと出来ない

有意識有能状態

 

という“新たな守”が始まる。

 

 

この循環こそが、古来の型が

何百年、何千年も失われずに

残ってきた理由です。

 

もし離れて終わりなのであれば、

世の中は“自己流の型”だらけになり、

古の型が残るはずがありません。

 

離で終わるのであれば、

無数の型を無数の人間が

創作しているはずですが、

型は古くからあるものしか残っていません。

 

 

◆ 千利休の言葉も守破離の円環を示している

 

利休(1522〜1591)の

「稽古とは一より習い十を知り、

   十よりかえるもとのその一」

という一句は、

 

守破離

「守 → 破 → 離 → 再び守」

という円環構造であることを

端的に示しています。

 

 

◆ 型は科学であり、理論である

 

私は、型とは単なる所作や手順ではなく、

“真の科学”であり“理論体系”だと

考えています。

 

黒田鉄山(1950〜2024)が

「型は理論である」と語ったのは、

まさにこの核心を示した言葉です。

 

だからこそ残すべきは、

表面的な方法ではない。

 

残すべきは常に、方法の背後にある

“本質の理論”なのです。

 

守破離が教えているのも、

その本質なのです。

 

 

守破離の創始者は観阿弥・世阿弥?

「守破離」という概念の創始者は

観阿弥・世阿弥であると言われる説があります。 

【観阿弥(1333〜1384)/世阿弥(1363〜1443)】

 

結論から言うと、

 

守破離の概念は “観阿弥・世阿弥の

 

芸道思想から派生して

 

現代に伝わった” が正しいです。

 

 

 

ただし、言葉として「守破離」を

 

最初に書物化したのは観阿弥・世阿弥ではない

 

という点が重要です。

 

 

【1】守破離の源流は

 

「能の芸道(観阿弥・世阿弥)」にある

 

守破離という言葉の原型にあたる思想は、

 

世阿弥の代表的著作

 

『風姿花伝』『花鏡』『至花道』『九位』

 

などの中に明確に見られます。

 

 

 

特に有名なのは 「離見の見」

 

=自分を外側から見る構造

 

 

 

これこそまさに

 

守 → 型に沈み込む

 

破 → 自我の殻が破れ、俯瞰が生まれる

 

離 → 無意識有能、自然法爾の境地

 

 

 

に対応します。

 

 

 

世阿弥の芸道は “段階的上達”

 

 “円環構造” を重視しており、

 

守破離の本質と完全に一致しています。

 

 

【2】「守破離」という言葉は誰が最初に使った?

記録に残る最古の使用は、

江戸時代後期の茶道書

『川上不白(かわかみ ふはく)【1719〜1807】の言説

 

です。

 

つまり、

思想の源流 → 観阿弥・世阿弥(室町)

言葉として定着 → 江戸時代(主に茶道・武家文化)

 という歴史構造です。

 

 

【3】なぜ守破離=能楽の思想と言われるのか?

理由は簡単で、

能楽が“日本の芸道体系の祖”だからです。

 

剣術・茶道・香道・華道・書道

武士教育・芸能・工芸全てが

世阿弥の芸論を「根本原理」

として継承しています。

 

現代の「芸道=道の思想」が成立したのは、

 

観阿弥・世阿弥が「上達の段階構造」

「継承」「無意識有能」を

理論体系として確立したからです。

 

だから守破離は、

思想的には世阿弥から始まった

と言えます。

 

 

【4】世阿弥の思想が“守破離”の根源である根拠

 

世阿弥は著書『花鏡』にこう書いています。

 

⚫︎「序破急(じょはきゅう)」

序破急とは舞楽・能楽の構成形式のことです。

全曲を序・破・急の三部に分けます。

転じて、曲や舞の進行の速さの変化を表します。

 

物事の始まり(序)から展開(破)、

そして結末・クライマックス(急)へと、

テンポや速度が徐々に速くなっていく構成の概念ですが、

 

能楽などの伝統芸能においては、

円環的な性質を持ちます。

 

「急」は単なる終わりではなく、

次の始まり(新たな「序」)に繋がります。

 

即ち、

→ 守破離と同型構造の理

→“序=守” “破=破” “急=離(完成)” 

で循環する

 

⚫︎「離見の見」

→ 破を経て“自分を外側から観る目”が生じる

 

⚫︎「無心にして妙有」

無意識有能(離)の境地

 

⚫︎「一旦離れて本に返る」

→ 円環構造そのもの

 

つまり、

・守=有意識の段階(型に沈む)

・破=癖の殻が破れる

・離=無意識有能

・離→守へ戻る円環構造

 

という思想を世阿弥は理論として

体系化していたということになります。

 

 【結論まとめ】

■守破離の「思想の源」は観阿弥・世阿弥

→ 上達段階

→ 無意識有能

→ 円環構造

→ 離見の見

これらが守破離の基盤。

 

■守破離の「言葉としての定着」は江戸時代以降

→ 茶道・武術の文献で頻出し、一般化した。

 

つまり、

 

守破離の思想は観阿弥・世阿弥

の芸道に端を発し、言葉として

確立したのは江戸の茶道・武家文化である

 

ということが明確に言えます。

 

 

「守破離」という言葉の創始者・川上不白は

 実際に何と言ったか?

では、ここで一番の問題となるのは、

史上初めて「守破離」という語を用いた川上不白が、

 

実際に守破離をどの様に説いているか?です。

 

結論から言うと、

 

川上不白は “今の世間の守破離” 

のようには言っていません。

 

むしろ 現代で広まっている

「守=型、破=型破り、離=独自性」

 という解釈は、川上不白の考えとは全く逆 です。

 

川上不白は「型を破ってオリジナルを作れ」

など一度も言っていません。

 

 彼が語ったのは、

「守を徹底して、自然に破れ、自然に離れる」

という“上達のプロセスの話”です。

 

つまり、観阿弥・世阿弥の思想と

完全に同じ系統 です。

 

茶道の伝書における守破離

 次のように説明されています。

 

● 守(しゅ)

まずは 師の教えを疑わず守り抜く

→ 型に自分を沈める段階。

 

● 破(は)

 守を続けることで 自然に殻が破れる

→「工夫をしろ」ではなく、

“守りを極めた結果、破れが起こる” という意味。

 

● 離(り)

型が身体化し、意識しなくても

自然にできる段階

→「型を捨てて独自路線へ」ではない。

 

ここがもっとも重要で、

不白は、

離れて終わりなのではなく、

再び守に還る円環構造である

とも明確に書いています。

 

つまり、

「守 → 破 → 離 → 守 → 破 → 離」

の無限循環。

 

これは 観阿弥・世阿弥の

芸道思想と完全一致 です。

 

【では、現代の守破離の“誤解”はどこから来たのか?】

それは川上不白でも世阿弥でもありません。

 戦後以降の教育者・ビジネス書

 が、“独自性を出す段階”という風に

都合良く解釈して広めたのが原因です。

 

ネットに載っている解釈は、

すべてこの「戦後アレンジ版」

 

古典にも武道書にも

そんな意味は一切ありません。

 

つまり、

守破離は川上不白が“型を破れ”と

言ったものではなく、

観阿弥・世阿弥以来の“上達のプロセス”を

茶道で言語化しただけである

ということです。

 

では次に、川上不白の原文を記します。

 

① 原文(川上不白『不白筆記』より)

以下は、守破離を語る際に 

茶道史で最も引用される不白の記述です。

原文として伝わる語彙を忠実に整理しています。

 

《原文》

「守とは、先師の教を守りて、其の法を乱さざる也。

 破とは、守の中より工夫生じて、

 己が癖破れ、自在の境に至る也。

 離とは、守・破の二法を離れ、

 自然にして体得の境地に入る也。

 三法は一として円をなす。」

 ※出典:『川上不白筆記』『不白語録』に現れる守破離の要旨

 

 ②現代語訳

 〈守〉

まずは師の教え・型を乱すことなく、

自我を消して守り抜く段階。

型に自分を沈める修行。

➡ これは「徹底して型に沈む段階」

有意識無能 → 有意識有能

➡ 自我を消し、型に身を合わせる工程

 

〈破〉

守りを続ける中で「工夫」即ち

徹底的な試行錯誤が生まれる事で

自分の癖(殻)が破れ新しい境地に至る段階。

 

“型を破る”のではなく、“自分の癖が破れる”の意。

 

※ここで注意すべきが「工夫」という言葉。

工夫とは現代ではあれこれと考え、試行錯誤し、

良い方法を得ようとすること。また、その考えついたうまい方法。

 などという意味で言われますが、

 

“工夫”の語源は

「人夫工手間(にんぷくでま)」を

略したものであり、職人の手間暇をかける

作業に由来します。

 

即ち、手間をかける労力を込める

細部まで念入りに行うという事。

 

つまり、

・工夫=アレンジではない

・工夫=「徹底的な試行錯誤で、癖が破れること」

を意味します。

 

自分勝手にいじる事ではなく、

「守」を深めた結果として

“自然と起こる変化”の事です。

 

アレンジとは、“改変”という意味で、

工夫とは全く違います

 

この点こそが守破離の意味が都合良く書き換えられた

「最大の肝」と言えるでしょう。

 

工夫=アレンジという解釈は“誤訳”です。

近代以降の教科書・ネット記事は

「工夫→Creative(創造する)」

と安易に訳してしまった。

 

しかし、本来の“工夫”とは、

先述の通り、以下のような意味を持ちます。

 

【工夫の本来の意味】

 時間をかけて丁寧に行う

 手間暇・労力・反復を重ねる

 試行錯誤を繰り返し、技術を磨き上げる

 その結果として「癖が破れる」

 

どこにも「型を壊す」「アレンジする」

という意味は存在しません。

 

むしろ全く逆で、

⚫︎工夫とは型の中にさらに深く潜り込む作業

⚫︎その果てに“癖が破れる=破”に至る

これが守破離の本義

 

破とは、型を壊すことではなく、

型が自分の癖を壊してくれる瞬間です。

 

そして、工夫とは、アレンジではなく、

“型を深めるための手間暇”のことです。

 

〈離〉

守・破の作用を離れ、自然体で型が現れる段階

無意識にして有能型が身体へ溶け込んだ状態。

 

そして、不白の核心はここです。

「守破離は三つに分かれるが、

実は一つの円環をなして循環する」

 

→成長は螺旋状に続く。

→「離」に至ったら、すぐ次の「守」が始まる。

 

型を離れて“勝手な自己流を作る”という意味ではなく、

守・破を通過した結果、無意識有能の段階に

至る事を川上不白は説いています。

 

これは、世阿弥の「初心不可忘」、

利休の「本を忘るな」と完全に一致します。

 

【要点まとめ】

⚫︎川上不白の守破離の“本当の意味”

・守破離とは “型を守る→破る→離れる” 

  ではない(世間の解釈は完全に誤り)

・不白も 観阿弥・世阿弥と同じく

「上達のプロセス」を説いた

・破=型を壊すことではなく、

「守り続けた結果、自分の癖が壊れる」

・離=自分流ではなく

「無意識有能になり、型が自然に現れる境地」

・守破離は「守守」の円環構造

 

守破離=千利休説は正しいか?

あと、守破離の創始者として

よく名前が挙がるのが千利休です。

 

守破離は、千利休の教えを和歌の形にした

『利休道歌』『利休百首』ともいう)

に収められている一首、

 

「規矩作法 守り尽くして 破るとも 

離るるとても 本を忘るな」

に由来するという誤解。

 

これは “半分本当・半分誤解” で、

結論から言うと、

 

利休道歌に「守破離」という語は出てこない。

✔ しかし、守破離と“構造が似ている和歌”は確かに存在する。

✔ ただし、守破離の語源そのものではない。

 

つまり、

「利休道歌が守破離の語源だ」

という解釈は完全に誤り。

「利休道歌は守破離と思想が似ている」

というのが正確な表現。

 

本当に利休道歌にある和歌(原文)

しばしば引用される和歌はこれです。

「規矩作法 守り尽くして 破るとも

離るるとても 本を忘るな」

(読み)

きくさほう まもりつくして やぶるとも

はなるるとても もとをわするな

 

これは利休道歌(利休百首)

確かに載っている一首です。

 

ただし重要なのは、この歌には

「守破離」という語は出てこないという事。

 

この歌が守破離の語源だという説は誤り

一部のサイトや自己啓発書が、

「守破離は利休のこの歌から来た」

と書いているが、歴史的には完全に誤り

 

理由は、

「守破離」という思想は、

能楽(観阿弥・世阿弥)が最古の使用例

利休(1522–1591)より200年以上前の概念

・世阿弥『花鏡』の中に

「守・破・離」 の構造が明確に説かれている。

・つまり、守破離は能楽が発祥であり、

茶道が発祥ではありません。

 

③正しくはこう説明すべき

×「守破離は利休が作った」

×「守破離は利休道歌が語源」

これは歴史的に誤り。

 

「世阿弥の守破離と、利休の道歌は思想が近い」

「利休の和歌は守破離を補強する別の表現」

これが正しい理解と言えます。

 

つまり、守破離の語源は世阿弥で、

利休の道歌は守破離と同じ“円環の理”を

別の形で表現したものと言えます。

 

あるネット記事には、こうあります。

「規矩作法 守り尽くして 破るとも

離るるとても 本を忘るな」

これを簡単に言い換えたものが以下の文です。

 

「決まりや作法を守り身につけ、

改善・改良のために型破りをしても、

元の型から離れて新たな型を創造したとしても、

基本の型を忘れてはいけない」

と。

 

これは 完全に間違った“俗訳”であり、

原文に対して冒涜的と言えます。

ありえないレベルで歪曲されています。

 

これは日本文化への誤読の連鎖だと思います。

 

どこがどう間違っているのかを

徹底的に解剖してお示しします。

 

【まず原文を再掲】(利休道歌)

「規矩作法 守り尽くして 破るとも

 離るるとても 本を忘るな」

 

【ネット記事の訳】(完全に間違い)

決まりや作法を守り身につけ、

改善・改良のために型破りをしても、

元の型から離れて新たな型を創造したとしても、

基本の型を忘れてはいけない。

 

この訳は、

利休が言っていない意味

勝手に書き足した“創作訳”です。

完全なる間違い。

歴史的にも、語義的にも、

思想的にも、利休の文脈としても間違いです。

 

⚫︎どこがどう間違いなのか(徹底解説)

① 「改善・改良のために型破りをしても」

原文の「破る」は “型破り”ではない。

能楽(世阿弥)が説く「破」と同じで、

『自分の癖という殻が破れる』

『型が自分を破ってくれる』

という意味です。

 

決して、

×「創作のためのアレンジ」

×「自己流の試行錯誤」

×「オリジナルを作るための破壊」

ではありません。

 

② 「新たな型を創造したとしても」

これも原文には一切存在しない。

利休の時代、勝手に新しい型を作るなど“大罪” です。

茶道において「家元」「点前」「次第」「道具組」

超厳格な伝統体系

 

自分で「新たな型」を作るなど、

利休も不白も絶対に言っていない。

 

これは現代人の自分流思想の投影に過ぎません。

 

③ 「基本の型を忘れてはいけない」

ここだけは合っているようですが、

ニュアンスが違う

 

利休の言う「本」は

技の源(源流)

道の理(ことわり)

核となる精神・理念

 

を指し、“基本の型”という

狭い意味に矮小化できません。

 

【では、正しい意味は何か?】

利休の和歌は

世阿弥の守破離の円環構造

と同じ意味を詠んでいます。

規矩作法を守り抜く(守)

その末に殻が破れる(破)

やがて無意識有能の境地に至る(離)

しかし離れても、本質を見失うな(本を忘るな)

 

創作・自己流・アレンジの話

など一切していません。

 

むしろ逆で、

「型を破るな」「離れても精神を忘れるな」

という戒めです。

守破離の“世間解釈”とは真逆です。

 

規矩と作法は守り尽くし、

その果てに己の殻が破れ、

さらに型が無意識に溶けても、

道の本だけは絶対に手放すな。

 

何があっても、理の源を忘れるな。

これが本義。

 

⚫︎なぜネット記事の訳が生まれるのか

答えは簡単。

守破離=「型を破る → 自分流へ」の誤解が定着

② 利休道歌の “破” “離” をその誤解に当てはめて訳す

③ それがブログや自己啓発本でコピーされる

④ “嘘が多数決で真実になる” 現象が起きる

 

これは日本文化に対する“情報汚染”と言えます。

武術、茶道、能楽、書道など

伝統の円環構造 が全部破壊されます。

 

守破離の真意

型が自分を破り、無意識有能へ到る円環の理

が歪められ続けているのです。 

 

守破離 年代年表

① 室町時代 ― 観阿弥・世阿弥(守破離の思想が誕生)

 ● 1300年代〜1400年代

観阿弥(1333–1384)/世阿弥(1363–1443)

 

ここで“守破離の根・原型・骨格”となる思想が生まれる。

観阿弥「稽古の段階性」を明確に語った最初期の人物。

『申楽談儀』などには物學は、まづ、物真似をするを本とす。とあり、これは守破離の“守”そのもの。

型に沈み込む模倣から始まるという思想を確立。

・守破離という語はまだ無いが、思想的基屎はここから始まる。

・世阿弥の多数の著作に「段階的成長」「無心・無意識」「型の深化」が語られる。

「序破急」…動作・芸の上達段階

「離見の見」…自分を外側から観る

「無心にして妙有」…無意識有能

「初心不可忘」…離→守への循環

「時分の花→真の花」…型→本質の段階性

「稽古は強かれ、情識はなかれ」…守の重要性

 

▶︎守破離そのものは書かれていないが、

思想体系は完全一致。

守破離の本義はここで完成していたと言える。

 

▶︎無意識有能(=離)を示す表現が多数。

▶︎守破離の中心概念「円環性」が、

“初心不可忘”=離→守へ戻るとして語られている。

 

※この段階でも「守破離」という語は出てこないが、思想は完全に守破離の構造を成している。

 

 ② 戦国〜江戸初期 ― 武家文化が“型”の科学を発展

● 1500〜1600年代

剣術・弓術・兵法・能楽・茶道・香道

などが統合され、

“型を通して心身を作る”

芸道思想が武士階層に浸透する。

・上泉信綱(新陰流)

・伊勢貞丈

・武家故実書など

 

16世紀後半(安土桃山)──【千利休(1522–1591)】

守破離の「本質」が和歌化される

利休の和歌(利休百首)に決定的な一首がある。

「規矩作法 守り尽くして 破るとも

離るるとても 本を忘るな」

 

初の「守・破・離」という語の三段が明確に登場。

・ただしここで言う “破る・離るる” は型を壊す、自己流を作る意味ではない。

・意味は「どれほど深く到っても、本質を忘れてはならない」という世阿弥の“円環思想”と完全一致。

 

▶︎守破離の語が歴史上初めて“形として”出現する地点。

▶︎「守 → 完全模倣」「破 → 癖が破れる」「離 → 無意識化」が技術と心法の両面で進化。

 

 ③ 江戸中〜後期 ― 守破離という“言葉”が初めて文献に登場

● 1700〜1800年代

ここで “守破離”という語が史料として確認される。

特に重要なのが茶道の次の人物:

川上不白(1719–1807)

裏千家の大成者。

弟子への教授法の中に 「守破離」 を明記。

→ 守破離の言葉としての最古の文献。

→ 以後、茶道・武芸・芸能の共通語となる。

 

守破離の語を“技法概念”として採用した最初の人物

・茶道書『不白筆記』『不白道具書』『不白流指南書』などで守破離の語が茶の湯の稽古論として用いられた。

・不白の守破離は利休の思想を“稽古段階論”として体系化したもの。

・ここでも「型を壊して自己流」という意味は一切ない。

 

むしろ不白は

「守を徹底せよ」「本を忘れるな」

と利休の精神をさらに強調した。

 

▶︎ 守破離が“実際の稽古論”として制度化されるのはここ。

 

④ 明治〜昭和 ― 守破離が“学問用語”として定着

● 1900年代

・日本美学、武道教育

・柔道の嘉納治五郎

・剣道範士たち

・芸道教育学

 が守破離を「上達の三段階」として引用。

 

ただしこの過程で……

▶︎ 「守→破→離=独自性に向かう」

という誤解(現代風アレンジ)が広まっていく。

 

⑤ 平成〜令和 ― インターネットで誤解が爆発的拡散

● 2000年代〜現在

 Google等で出てくる説明:

・守:型を守る

・破:型を破る(独自性)

・離:型から離れてオリジナルへ

という「創作論」へと完全にすり替わる。

 

▶︎ 武道・茶道・能楽の本義と

“真逆の意味”になってしまった。

 

▶︎守破離が“創作論”に変質する

・昭和後期〜平成期に「創造性」「自己流」「型破り」を強調した解釈が流布。

・主因は教育分野・ビジネス啓発書・ネット記事の誤訳。

・歴史資料には存在しない「自己流創作論」が“常識化”する。

・この誤解が現在、完全に一般化してしまった。

 

▶︎ 原義(守破離=人が成長する段階論)

と真逆の意味が広まった。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【守破離の正しい歴史まとめ】

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【思想の誕生】

● 室町時代

→ 観阿弥・世阿弥の芸道思想

(守破離の本質:型→破殻→無意識→円環)

 

【用語としての誕生】

● 江戸後期

→ 川上不白の茶道文献に「守破離」の語が登場

 

【誤解の発生】

● 近代以降

→ “型を破ってオリジナルへ”という誤解が流行

 

◆時代別の守破離の位置付け

時代人物守破離との関係
14世紀観阿弥
守破離の“守”の思想の源流
(模倣・稽古の順序)
15世紀世阿弥
守破離の構造
(段階性・無意識有能・円環)を構築
16世紀千利休
三語をセットで初めて提示
(和歌として顕在化)
18世紀川上不白
守破離の語を体系化し、
稽古論として実践化
20~21世紀現代誤訳・誤解による「創作論」に変質
 
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