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2022/7/15

身体この未知なるもの

身体 - この未知なるもの -

 

身体問題の完全解決を!
 
人間には大なり小なり「身体問題」が存在する。
 
圧倒的大多数の人が幸せに生きようと思っても、
 
年々歳々、言うことを聞かなくなるのが
「身体」だと痛感している。
 
この問題は、どうにもならないものなのか?
 
人は歳を取ると身体が言うことを聞かず、
身体の自由が奪われるのは致し方ないことなのか?
 
この命題にハッキリと「NO!」と言い切り、
 
この「身体問題」の完全解決を目指すのが
 フィジカリストOuJiである。
 
人間も動物でありながら、動物との一番の違いは
 
・自分を変えられること
・身体を変えられること
 
である。
 
自分の身体をより良く変えていく魚もトカゲも
哺乳類も鳥類も昆虫もいない。
 
人間だけが自らをより良く
変えていける力を授かっている。
 
これはまさに神様が人間だけに与えた特権である。
 
故に、
 
人間は自らの身体をいくらでも
より良い方向に変えていくことができる
 
動物は歳を重ねると身体の動きが鈍くなり、
衰える一方であるが、
 
人間はいくら歳を重ねても自らの意志により
身体の自由度を上げていくことができる
 
僕の身体の研究はそこが専門であり、
すでにそんな方法が多数開発されている。
 
そもそも何故、何もしなければ
年々歳々、身体は言うことを聞かなくなるのか?
 
答えを簡潔に言えば、
 
身体の言うことを聞いていないため
 
である。
 
人間は自分の身体に色々求めるが、
 
では、
 
あなたに自分の身体が
何を求めているのか?
 
を振り返る人は少ない。
 
なるほど、では
「身体の声を聞けばいいんですね」と言って、
 
「身体の声を聞きましょう」
 
と言われるが、そうは問屋が卸さない。
 
 
「身体の声を聞く」などという
〝芸当〟は大多数の人ができない。
 
それができていれば身体問題は起きてこない。
 
特に身体能力全般が衰えた現代人は
身体の声を聞きたくても聞くことはできない。
 
それは整体業において10年間で12万人の患者さんと
接してきて痛感させられたことである。
 
そもそも、身体は声・言葉を発さないのだから、
「身体の声を聞きましょう」
と言われても土台無理なのである。
 
ではどうすればいいのか?
 
身体の声を聞けない人は諦めるしかないのか?
 
答えはNo!である。
 
自分の感覚・主観で身体の声を聞けなくても、
 
客観的に自分の身体を見た時に
身体が何と言っているか?が解る理論があれば
 
万人が自分の身体の声を聴くことが可能になる。
 
その理論・法則を「フィジカル・コード」
と名付け、万人への普及を開始している。
 
※正式名称
「フィジカル・コード・インターロックシステム」
 
この「フィジカル・コード理論」があれば、
万人が例えば自分の全身左右前後の筋肉が
どういう状態になっているか?が手に取るように解る。
 
それが解るからこそ、その筋肉に対して
何をしてあげれば良いか?が解る。
 
即ち、万人が「身体の声を聴く」
ことが可能となる。
 
身体能力が衰え、あらゆるユガミや
ヒズミが生じた身体の状態で
 
いきなり主観レベルで「身体の声を聴こう」
と言われても万人には不可能。
 
だからこそ、いったん「フィジカル・コード」を
もとに客観的に身体を観た上で、客観的に
自らの身体が本当は何と言っているのか?
本当は何を求めているのか?を正しく知る。
 
そうやって客観的に身体を整えてこそ、
初めて主観レベルで真に正しく
自らの身体の声を聴けるようになる。
 
それが10年間で12万人の方の
身体と接してきて出た結論である。
 
あらゆるストレスに堪え忍び、
生きてきた身体は、主観と客観がズレている
 
主観とは自分がどう感じるか?
客観とは他人(外)から観てどうか?
 
より詳細に言うならば
 
主観とは自らの内観で
自らの身体をどう感じているか?
 
客観とはまさに字をひっくり返せば
「観客」となる通り、自らをスタジアムの
観客席から観る視点であり、外から自らの
身体を観察した時に物理的実際にどうなっているか?
 
ということである。
 
そして、多くの場合、現代人の身体は
この主観と客観がズレている。
 
簡単に言ってしまえば、頭で思っている身体と
実際の身体に大きな差異がある。
 
心理的(主観的)身体と物理的(客観的)身体
とに大きな差がある。
 
整体とは本来、この主観と客観のズレを
直し整える術技である。
 
身体の修行者でも、身体を壊していく人がいるのは
主観と客観に大きなユガミが生じるからである。
 
この自分自身の主観と客観の差を取ることも
「サトリ」ということであり、それが
在るがままの自分を知るということでもある。
 
江戸時代以前の日本ではこれを
「身の丈を知る」「身の程を知る」と言った。
 
今後の日本人の身体のためには、
具体的に身体を変える方法もさることながら
 
身体は自分自身に固有のパーソナルなものだから
 
自分の身体を正しく知ることのできる
理論こそが必要である。
 
日本人が身体の声を正しく聴いて
正しくレスポンスできる能力を取り戻す。
 
そんな世界を「フィジカル・キングダム」
と名付けている。
 
日本はかつて、フィジカル・キングダム大国であった。
 
江戸時代以前の日本は
フィジカル・キングダムだった。
 
フィジカル・コード理論なんてなくても、
主観レベルで正しく身体の声を聴くことができた。
 
それが明治維新、GHQなどの策略により、
日本人の身体は書き換えられた。
 
かつての日本人の身体を取り戻すために今、
この「フィジカル・コード理論」が存在する。
 
by. フィジカリストOuJi
 
 
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