日本立腰

 
立腰体操・立腰整体で日本を元気に!
寝腰JAPANから、立腰JAPAN!へ。 
カタ苦しいイメージから、ユル楽しいイメージへ。
「タテゴシ」で、日本を元氣に!
2022/7/14

フィジカリストの守備範囲

 
スポーツが上手い人って
スポーツが上手いのではなく、
 
その人がその人自身を
動かすのが上手いのです。
 
スポーツだけではありません。
 
ダンスでも楽器演奏でも
料理でも整体施術でも…
 
上手い人というのは
その人自身を動かすのが上手いのです。
 
この、自身を自分の思い通りに
動かす能力を「身体能力」と言います。
 
より精確に言うなら、
 
身体をその構造通りに
動かせる能力が身体能力
 
です。
 
            
もし仮に何をやらせても
上手い人がいるとしたら、
 
その人は自分自身を
動かすのが上手いのです。
 
自分自身を思い通りに動かせたら、
何をやっても上手い人になります。
 
             
ただ、僕の言う「身体能力」は
もっと深さと広さを含んだ概念であり、
 
ただの「上手・下手」では計り知ることが
できないのが〝身体能力〟でもあります。
 
例えば、スポーツでも芸術でも
 
上手・下手とは別に、
人に〝感動〟を与える人がいます。
 
同じように上手くても、
あるいは人より下手であっても、
 
その人の表現やその人自身から
〝何か〟が伝わってくるという人がいます。
 
それも〝身体能力〟の1つです。
 
       
ちなみに文科省は「身体能力」を
こう定義づけています。
 
==================
 
1.筋力
身体全体を動かすための土台となる能力 
 
2.筋持久力
筋力を使って身体を長時間動かし続けられる能力 
 
3.瞬発力
短時間で筋力を十分に発揮できる能力 
 
4.心肺持久力
運動時に呼吸機能を
長時間正常に働かせられる能力 
 
5.敏捷性
筋力を使って素早く反応し身体を動かす能力 
 
6.平衡性
不安定な足場にて身体のバランスを
取ることができる能力 
 
7.柔軟性
関節が柔らかく、身体の反応に
合わせてスムーズに動ける能力
 
==================
 
これらが「身体能力」の中身である
と定義づけていますが、これは身体能力ではなく、
スポーツに必要な能力です。
 
この定義は僕に言わせたら、
「身体能力」ではなく、
「狭義の意味においての運動能力」です。
 
身体能力と運動能力は違います。
 
身体能力という土台の上に
運動能力が乗ります。
 
身体能力=身体の在り方
運動能力=身体の使い方
 
です。
 
 
    
身体能力とは、
 
身体をその構造通りに使える能力であり、
自分の思い通りに身体を扱える能力
 
です。
 
           
「学校の体育の成績=身体能力」
ではありません。
 
跳び箱が跳べないからといって
身体能力が低いのではない。
 
ただ、跳び箱を跳ぶ運動能力がないだけ。
 
あるいはもっと言えば、
跳び箱に興味がない、必要がないので
そこにエネルギーを傾けたくないだけ。
 
これはカケッコであろうが
鉄棒の逆上がりであろうが同じです。
 
学校の体育ができないだけで、
学校の体育の成績が低いだけで、
スポーツテストの点数が低いだけで、
 
「〝身体能力〟が低い」と思い込まされて、
自分の身体を嫌いになったり
自分の身体が信頼できなくなったり…
 
そんな人が出てしまうことを
許せないと思うのが
フィジカリストOuJiです。
 
            
僕はよく言うのですが、
 
楽器の演奏だって、料理だって、
歌を歌うことだって、
数学の問題を解くことだって、
文章を書くことだって、
絵を描くことだって、
人を笑わせることだって、
人に優しくできることだって、
人の表情を読んで気を使えることだって
 
 
僕からしたらその全てが
〝身体〟を使った〝運動〟であり、
〝身体能力〟以外の何物でもありません。
 
球技が苦手でも、絵を描くのが得意であれば、
絵を描く身体能力が高いということです。
 
「絵を描く」の「描く」って、動詞です。
 
ということは、〝運動〟です。
 
「走る」「投げる」「打つ」「蹴る」「泳ぐ」…
 
と同じ〝運動〟です。
 
では、運動は何がするのか?
と言うと、〝身体〟です。
 
「絵を描く」ということが
身体運動ではないということを
証明できる人は1人もいません。
 
でも、ほとんどの人が
 
「身体能力=スポーツの能力」
 
と思い込まされていて、「絵を描く」ことは
身体能力とは無関係だと思わされています。
 
日本の場合は戦後、
スポーツというものが導入され、
スポーツは価値が高いものだと洗脳され、
 
学校教育において「体育」という科目ができてから
 
身体能力=スポーツ
身体能力=体育の能力
 
という認識を植え付けられました。
 
 
それ以前は「体練」「体操」
と言われていましたが、
 
フィジカリストの僕から言わせたら、
 
算数も国語も理科も社会も
音楽も図工も書道も全ての科目が
 
〝体育〟であり、〝体練〟であり、〝体操〟です。
 
学校の時間割全ての名称が
〝体育〟でいいと思っています。笑
 
算数という体育
国語という体育
 
という教科名がいいですね。笑
           
 
日本にスポーツという概念が導入されたのは
明治維新以降で、色濃くスポーツが
強調賛美されるようになったのは戦後です。
 
         
僕は「スポーツ・体育=身体能力」
という作られた構図を根こそぎ
変えたいと思っています。
 
フィジカリストの守備範囲は
このように圧倒的に広く、そして深いのです。
 
 
by. フィジカリストOuJi
 
 
最新記事
月別アーカイブ