日本立腰

 
立腰体操・立腰整体で日本を元気に!
立腰ジャパン 
JTA日本立腰協会
    立腰体操とは何か ーー原理・思想・コンセプト

 

 1  立腰体操の理念(Philosophy of TATEGOSHI Taisō)

立腰体操とは、
身躰の根源に立ち返るための体操である。

ここで言う「立腰」とは、
身体部位としての腰を立てることではない。
「腰」とは躰の要であり、
要とは、根源・本質・由来・由縁・本源を意味する。

すなわち立腰とは、
身躰の根源に立ち返ることである。


立腰体操は、
身躰を外から作り変える体操ではない。
力で鍛え、形を固定し、
部分を切り取って動かす体操でもない。

身躰が本来どのように在るのか。
そのそもそもの構造・相(すがた)に随うための体操である。


身躰は、
骨と筋肉、
筋肉と血管、
血管と血液、
細胞と細胞が
それぞれ別の存在として分かれ、
適切な隙間を保ちながら成り立っている。

さらにミクロに見れば、
分子は揺れ、
原子は空間をもち、
すべては滑り、ずれ、揺れ合って存在している。

身躰の根源とは、
固定ではなく、隙間であり、
静止ではなく、揺動である。


立腰体操は、
この根源の相に立ち返るため、
互動・揺動・波動という運動原理を用いる。

一部を固定し、末端だけを動かすのではなく、
身躰全体が同時に連なり、
自然に動きが行き渡る状態を尊ぶ。

摩る、滑らせる、揺らすという動きも、
単なる準備運動ではない。
それは、細胞・血液・身躰の最小単位に
本来の関係性と隙間を取り戻す行為である。


立腰体操が目指すのは、
「健康」や「治癒」という結果だけではない。

それらの根にある、
すこやかな状態を甦生させることである。

すこやかとは、
詰まりがなく、
もつれがなく、
風が通り、
隙間が隙間として存在している状態。

立腰体操とは、
身躰をすこやかな相へと立ち返らせる
専門的な身体行為である。


身躰がすこやかに甦るとき、
人は無理に頑張らなくても、
自然に立ち、歩き、働き、生き始める。

立腰体操は、
身躰を通して、
人がそもそもの自分に随って生き直すための体操であり、

身躰の根源に立ち返り、
すこやかな相を甦生させる体操である。


 

 2  「立腰 - TATEGOSHI - 」の再定義

立腰体操とは「姿勢を良くする体操」でも「腰を鍛える運動」でもありません。
まず私たちは、「立腰」という言葉そのものを字義から再定義するところから始めます。

1.「腰」とは身体部位ではない
一般に「腰」と言えば、
腰椎・骨盤・腰部といった身体の一部を連想します。

しかし、立腰における「腰」は、それとは異なります。

腰 = 躰の要(かなめ)

では、この「要」とは何でしょうか。

要とは、

根源
本質
由来
由縁
淵源
本源

を意味する言葉です。

すなわち、

腰とは
身躰の根源・本質・由来そのもの
を指す概念である。

立腰における「腰」は、解剖学的領域ではなく、
存在論的・構造的中心を示しています


2.「立」とは姿勢操作ではない

「立」と聞けば
「立つ」「姿勢を正す」という意味に限定されがちですが、
立腰における「立」はそれだけではありません。

立 = 成立する
立 = 立ち返る

すなわち、

失われていたものが再び成立し、
本来あった場所へ立ち返る

という意味を同時に内包しています。

それは「形を整える行為」ではなく、
存在が本来の在り処へ戻っていく運動です。


3. 立腰の真の定義

以上から導かれる立腰の核心は、ただ一つ。
立腰とは、身躰の根源に立ち返ること

・姿勢の話ではない
・筋力の話でもない
・矯正の話でもない

これは、
「本来の存在の座」へ戻るための行為
と言えます。


4. 立腰体操とは何か

ゆえに、

立腰体操とは
身躰の根源へ立ち返るための体操である。

「整える」「作る」「鍛える」体操ではない。

立ち返るための“経路”を
身体に思い出させる行為

それが立腰体操です。


次章では、
「身躰の根源・本質・本源・由来・由縁とは何か?」

ここを
感覚論ではなく、
精神論でもなく、
スピリチュアルでもなく、

身躰構造と思想として徹底的に掘り下げます。


 3  身躰の根源は何か?


1.体操にとって最も重要なのは「自分」である

体操は
誰かに与えられるものでも
外から眺める対象でもありません。

体操とは、
自らが自らに行う行為

主体と客体が一致している、
極めて特異な行為です。

だからこそ、体操において最も重要なのは

自分

となります。

ここで、「自」と「由」の字義を組み合わせると
「自由」という言葉が立ち上がります。


2.自由とは「そもそもの自分に随うこと」

字義を掘り下げると、

自 = 自分・自ら
由 =① そもそも・本質・根源
   ② 随う

となります。

ここから導かれる定義は一つ。

自由とは、
そもそもの自分に随うこと

好き勝手に振る舞うことではない。

根源に従っている状態
= 自由

である。

さらに、

自分=自然から分かれた存在
自ら=身津から(水から)

生命の起源に照らすと

「自分」という言葉そのものが
根源性を内包している
ことが見えてきます。


3.そもそもの自分を掘り下げると「身躰構造」に行き着く

では、そもそもの自分とは何か。

それを身体を通して観察すると、
答えは必然的に「身躰構造」へと至ります。

例えば手の骨は
手首だけで動くようには作られていません。

手 → 前腕 → 上腕 → 肩胛骨
手首 → 肘 → 肩へと連節

となり、
動きは即座に連鎖する前提で作られている

したがって、

手だけを切り取って動かす運動は
身躰構造そのものに反している

ことになります。

これは効率論でも技術論でもなく、
自然の摂理として、そうはなっていない

という事実です。



4.「異質な組織が共存している」という根源

立腰体操は
身躰の根源へ立ち返ることを目的とした体操です。

骨・筋肉・血管・細胞という
身躰のすべての階層を貫く原理に基づき、
生命が本来持っていた運動様式へ戻っていく

それが立腰体操の思想であり、構造であり、実践です。

さらに深く観察すれば、

骨=硬い組織
筋肉=伸縮・硬軟する組織

という異なる性質の組織が
筋肉の中に骨が“浮かぶ”ように存在している
という構造が見えてくる。

これが本来=根源の身躰の姿です。

立腰体操ではまず、
身躰は、異質な組織が分離したまま共存している
という根源構造に立ち返ります

たとえば筋肉の中には、
血管があり、血液が流れています。
血管は管として固く
血液は流体として柔らかく

それぞれ性質の異なる別組織です。

この「違うものが違うまま共にある」という構造こそが
本来の身躰=根源の在り方です。

もしそれが癒着すれば、血管は詰まり、機能は失われます。

つまり、「分離していること」こそ正常であり、
それを保つ運動でなければならない。

立腰体操は、この思想を前提として設計されています。

 

5. だから立腰体操は「固定型の体操」ではない

現代トレーニングでは、
体幹を固定して末端を動かす
という発想が多く見られます。

しかしこれは、
骨と筋肉の本質から離れた運動様式です。

立腰体操で用いられる

互動
波動
揺動

といった運動原理は、

筋肉と骨のそもそもの在り方に
立ち返るための方法

であり、
流行やテクニックではなく、

構造への回帰

なのです。

「関節を固定し、末端だけを動かす運動」は
一見すると効率的に見えます。

しかしそれは、
血管と血液の分離
筋と骨の異質性
連鎖する構造

から切り離された操作です。

固定・分断・局所操作は
身躰の根源構造に逆行する。

そのため立腰体操は、

固定しない
分離を壊さない
連鎖を止めない

という原理で構成されています。



6.さらにミクロへ ー 身躰は細胞から成る

身躰をさらに深く見ていくと、その正体は「細胞の集まり」です。

細胞の起源は単細胞生物
では、単細胞生物はどのように動いているでしょうか。

滑る
互い違いにずれる
揺れ動く
波打つ

それはまさに

互動・揺動・波動

という運動様式です。

つまり、

生命の最小単位
すでに波動き・滑り・揺れている

それが“そもそもの身躰の姿”

7.立腰体操は「生命の運動様式」を身体サイズで再現する

ここから導かれることは明確です。

効かせるための運動ではない
形を整えるための運動でもない
矯正するための運動でもない

生命が生命として存在するための、
最小単位の運動を再び取り戻す行為

それが立腰体操です。

だから、

互い違いに滑らせる
波打たせる
揺らす
摩る

といった動きが重要になります。


8.なぜ「摩り運動」が立腰体操なのか

もし立腰が
「腰を立てること」
だけを意味するなら、

手を摩る運動は
立腰体操とは呼べません。

しかし、

立腰=身躰の根源に立ち返る

という原義に立つなら、
細胞同士が滑り合い
分離を保ちながら共存し
波動き続ける

その在り方をもっとも端的に体現しているのが

摩り運動

なのです。


つまり、

摩りとは象徴ではなく
身躰構造そのものをなぞる運動

なのです


9. 身躰をミクロに見る ― 分子の運動へ

身躰をさらにミクロに見ていくと、
その構成単位は分子へと行き着きます。

分子は、常に揺れ動いています。
その運動はブラウン運動(揺動)と呼ばれます。

身躰の最小単位である分子は
止まっていない。常に揺れている。

ならば、

生命として動く身躰の運動も
揺れ・波動・滑走に随うべき

ということになります。

立腰体操が

「揺らす・波立たせる・滑らせる」
運動を重視するのは

感覚的快楽のためではなく、
生命の運動様式に倣っているから

です。

10. さらに最小単位 ― 原子へ

分子よりさらに深く入ると、
身躰は原子によって構成されています。

原子は

中心に原子核があり
その周囲を電子が廻る

という構造を持ちます。

ここで重要なのは構造そのものです。

原子とは
隙間(空間)によって成立している存在

電子と原子核の間には
巨大な空間が広がっています。

つまり、

詰まっているから安定するのではない
固めているから生きているのではない

隙間があるから、揺れ、廻り、成立する。

これはもはや運動論ではなく、
存在の成立条件の次元の話です


11. 原子に随うとは何か ― 隙間が必要な身躰

立腰体操とは

身躰の最小単位である原子の運動に随う体操

であり、

身躰には隙間が必要である
という原理を体現する運動です。

関節に隙間があるから、骨は健やかに動ける
関節の隙間が潰れたとき、動きは失われる

ここに
健やか(すこやか)という概念が現れる

すこやかとは

「固まっていない状態」でも
「強い状態」でもなく、
隙間が、隙間として在り続けている状態

なのです。


12. 立腰体操が目指すもの

立腰体操は
姿勢を整えるための体操ではない
力をつけるための体操でもない
形をつくるための体操でもない

隙間と揺れが保たれた
生命本来の存在状態へ還る体操

です。

だから、

骨の構造から見ても破綻しない
筋の機能から見ても自然
血管から見ても無理がない
細胞から見ても一致する
分子・原子の運動とも矛盾しない

すべての階層で一貫している運動体系となります。

立腰体操とは
身躰が、身躰として成立していた
本来の相(すがた)へ立ち返るための体操

固めず
分断せず
失われた隙間を取り戻し
生命としての動きを思い出すための道。

それが
立腰体操です。


『健康概念の再定義と「すこやか」という身体構造論』PDF
※写真をタップすると、PDFが開きます。


⑩立腰体操とは何か

立腰体操とは
身躰の根源に立ち返り、
そもそもの自分に随うための体操

作り替える体操ではない
矯正する体操でもない
何かを付け足す体操でもない

身躰そのものが
本来の姿を思い出していくための経路

それが立腰体操です。

身躰を「正しくする」体操ではなく
身躰を「鍛える」体操でもなく

身躰が、生命として成立していた状態へ立ち返るための体操

だから、

骨から見ても破綻しない
筋から見ても矛盾しない
血管から見ても詰まらない
細胞から見ても自然
単細胞から見ても同じ原理

すべての層で一貫している。

立腰体操とは
身躰が身躰に還るための運動体系です。