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2023/12/5

足運びと蹴り技

 

※写真をクリックすると動画に飛びます。

 

 

<足運びと蹴り技>

 

フィジカリストOuJi剣術アカデミー

では蹴り技も稽古します。

 

僕自身、靭帯の無い膝で

幾つもの蹴り技を繰り出します。

 

足運びのコツ・極意

沢山ありますが、まず

 

「蹴ろうとしない事」

 

が肝要です。

 

蹴ろうとせずにどうやって

蹴り技を繰り出すのか?

と思うかもしれませんが、

 

日本古来伝わる武術の

「足運び(運足法)」を活用すれば、

相手に悟られにくく、

かつ力強い蹴り技が可能となります。

 

足運びでほぼ全てが決まります。

 

そして、足運びは即ち全身運びであり、

全身運動法なので、全身をいかに

構造通りに使いこなせるか?が肝腎

となります。

 

蹴り技においても体幹中芯部は肝要で、

特に脊椎の自由度が鍵を握ります。

 

虎、ライオン、チーター、ジャガー、

ピューマ、熊などの野獣系身体操法

主にパンチや突き、上半身の体捌き

活用し易いです。

 

一方、爬虫系・魚系身体操法

蹴り技や下半身の体捌きに活用し易い。

 

野獣系動物は蹴り技は苦手です(笑)

 

ライオンや虎が後脚で相手を

仕留める事はほぼありません(笑)

 

野獣系動物は前脚で

相手を仕留めるのを得意とします。

 

もちろん、馬は後脚での

バックキックを得意としますが、

 

基本的に野獣系動物の後脚は

疾走や跳躍などの強力な前進運動

において運用されます。

 

熊も立って攻撃を仕掛けてきますが、

ローキックや前蹴りをしてくる

ことはありません(笑)

 

もし熊がローキックをしてきたら、

それは熊ではなく、熊のような人間です(笑)

 

野獣系動物は後脚での攻撃を

しにくい構造になっています。

 

一方、爬虫系動物の後脚の足運び

まさに蹴り技そのものです。

 

トカゲが壁や窓に這っている状態は

地球の中心に対して垂直に

立っている状態です。

 

その時にトカゲが壁や窓を伝う

動きを観察すると、見事に後脚が

正中面上に入ってきている事が解ります。

 

この動きを人間がそのまま転用

できれば、コンパクトで見えにくく

威力ある見事な蹴り技になります。

 

そして、魚系動物即ち魚の動き。

魚の動きで最も力強く動くのは

尾ヒレの部分です。

 

全身の浪動運動が

尾ヒレに伝わります。

 

その魚の尾ヒレで顔面を

引っ叩かれたらどうなるか?

想像すれば分かると思います。

 

カジキやサメ、シャチなどの

大型魚系動物の尾ヒレで

顔面を引っ叩かれたら、100%、

命そのものまでKOされてしまいます。

 

人間の身体で魚の尾ヒレに当たる部分

仙骨〜下肢にかけてです。

 

だから、魚系動物のように

仙骨〜下肢が動けば、強烈な蹴り技

を繰り出す事が出来る様になります。

 

もちろん、この魚系身体操法は

突きや投げ技等の上半身の体捌き

にも活用出来ます。

 

となると、

 

相手に悟られにくく

威力ある様々な蹴り技を繰り出すには、

 

身体に眠る爬虫系・魚系の

身体機能を目醒めさせる事こそが

最重要となります。

 

即ち、身体を構造通りに

使いこなす事=身体開発

武術・格闘技における最も

底辺の稽古として据えることです。

 

「足運びは足運びにあらず」です。

 

全身がどのように使われた結果

その足運びになるのか?が肝要。

 

逆から言えば、

その足運びの稽古を通じて、

いかに全身を開発し、全身を

使いこなすか?こそが肝要。

 

そこに居てそこに居ない身体。

そこに居てそこに居ない足を

古流武術では「無足」と呼びますが、

 

これは爬虫系身体操法

出来ないと実現不可能です。

 

だから、僕はそのような

足運び・足捌きを「爬虫足」

と名付けています。

 

また、

 

野獣系動物の疾走運動における

後脚・前脚の四足操法を

 

人間の二足操法に

活用・転用した足捌き

「獣足」と名付けています。

 

この僕の言う獣足爬虫足

体現出来ている人物は、残念ながら

現代の武術界にはほぼ居ません。

 

日本の武術でも中国の武術でも、

様々な伝書で足運びや足捌きについて

書き残されていますが…

 

その古流武術の極意である

足運び・足捌きを、多くの

武術家が全く出来ていません。

 

一番体現出来ているのは、

陸上競技選手や格闘家、

バスケやサッカー選手です。

 

特にトップクラスのサッカー選手は

獣足・爬虫足だらけです。

つまり、これが出来なきゃ

トップクラスのサッカー選手には

なれない事を示しています。

 

故人ですが、この獣足爬虫足という

足捌きを得意とした偉大な武術家を

挙げるとするならば、ブルース・リーです。

 

彼の軽やか・華麗かつ

ピタッとおさまるフットワーク

足捌きの秘密は、爬虫足にあります。

 

「蝶のように舞い、蜂のように刺す」

と称されたボクシングのモハメド・アリ

の足捌きも見事な爬虫足でした。

 

ブルース・リーに憧れる武術家は

彼の創始したジークンドーを

やろうとしますが、僕が興味があったのは

ブルース・リーの身体の在り方でした。

 

その在り方を紐解くと

どう身体が使われるか?が解り、

なぜその技を繰り出すのか?

を読み解く事ができます。

 

この身体構造がどのように

使われているのか?という

身体の在り方を継承しないと、

本当の武術の極意が一切残らない、

 

身体の在り方を継承してこそ

先代、創始者の武術を真に継承する

事であるというのが僕の考えです。

 

例えば、有名な宮本武蔵は

著書『五輪書』の中で足遣いについて

次のように書き残しています。

 

「足づかいは、ことによりて大小遅速はありとも常にあゆむが如し。足に飛足、浮足、ふみすゆる足とて、是三つ、嫌ふ足なり。此道の大事にいはく、陰陽の足と云ふことあり。是れ肝要なり。陰陽の足とは、片足ばかり動かさぬ物なり。きる時、引時、受る時までも、陰陽とて右左ゝゝとふむ足なり。返すゞゝ、片足ふむことあるべからず。能々吟味すべきものなり。」

 

<現代語訳>

 足使いは時に応じて大きく・小さく・遅く・早くするが、常に普通に歩く様にする。

 飛ぶ、足を浮かせる、腰を落として踏みつける、の三つはやってはいけない。

 兵法の大切なことに『陰陽の足』という教えがある。これは当流にとっても重要なことである。

 陰陽の足使いとは、片足だけを動かしてはならないということである。

 斬る時、引く時、刀を受ける時でも、陰陽の両極を交互に渡る様に、右左右左と踏んでいく。何度も言うようだが、どちらかの片足だけ中心にして、スキップを踏むような足運びをしてはならない。良く吟味して欲しい。

 

         

よく読んでほしいですが、

これを身体が開発されていない

人が読んだとしたら…

 

全く大した事は

書かれていません(笑)

 

「普通に歩くようにする」

「片足だけを動かしてはならない」

「陰陽の足で右左右左と両足を使う」

 

これだけ聞いたら

当たり前過ぎることですが、

 

この当たり前過ぎる事を

どのレベルで捉えて

どのレベルで実践できるか?です。

 

だから、この宮本武蔵の書き残した

足遣いの項の中で最も肝要な事は、

 

最後の一文である

「能々吟味すべきものなり。」です(笑)

 

この宮本武蔵の五輪書をはじめ、

武術の伝書・極意書には

随所に「自由」という語が出てきます。

 

武蔵は「惣躰自由(やわらか)」と表現し、

立身流秘伝之書では「我體自由自在」と言い、

柳生宗矩の兵法家伝書には「自由自在」

出てきます。

 

直心影流剣術の男谷精一郎(信友)は、

「後来習態の容形を除き、

 本来精妙の恒体に復す」

 

と言いました。

 

意味は、

 

「人は生まれてから今日まで

  知らず知らずに身についた癖がある。

  その癖を取り除くことで、

  本来自然に備わっている能力を

  引き出すことが出来る。」

 

という事ですが、

「自由」を取り戻す重要性を

示唆しています。

 

他にも挙げればキリがないほど

「自由」という語が日本の武術伝書

には出てきますが、

 

「自由」とは

「本来の自分に随う」という意味です。

 

由とは「本来・そもそも」という意味と

「随う・従う」という2つの意味を持ちます。

 

故に「自由」とは

「本来の自分に随う事」

 

そもそも・本来の身体構造

に随うことが自由という事です。

 

身体の由縁・根源に立ち返り、

それに倣い、随う事に武術の本質

あると僕は思っています。

 

「じぶん」という捉え方そのものにも

日本にはその事が読み取れます。

 

同じ漢字でも、「じぶん」のことを

中国語では「我的」と書き、

日本は、「自分」と書きます。

 

「自」然から

「分」かれた存在が、「自分」

 

あくまでも、この

「自」然の中の一部「分」が自分。

 

自然から分かれた

自然の一部分である自分の根源に

随う事が「自由」の真意であり、

 

日本武術とはそれを

身を以て学び実践する学問であり

芸術であると僕は思っています。

 

蹴り技の動画をこちらにも

アップしますが、更なる長編は

またYouTubeにアップします。

 

by. フィジカリストOuJi

 
 
 
 
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